No.0019

自称芸術家に見るアートと社会の闇

text : mama(美学者母)
2014年7月14日(
月曜日)執筆

 

3Dプリンターでダウンロードできる、
自分の女性器をかたどったデータを配っていたとして自称芸術家で、
ろくでなし子こと、
五十嵐恵容疑者をわいせつ電磁的記録頒布の疑いで逮捕とのニュース。
僕も最初この「自称」という言葉に違和感を覚えた。
そしてやはり私のフェイスブックのフィードにも、
「自称」ってなんだ、という声が続々と上がっている。
そもそも芸術家に「自称」とか「自称」で無いとかあるのか。
という疑問。 これが日本のアート業界、社会の闇の根源ではないだろうか。
そもそも日本において「芸術家」と認められるにはどうしたらいいか、
まずそこを考えていくのが分かりやすい。
世の中の一般の「市民」や「公的」に「芸術家」として、
日本で認められるには、結局なにかしらの「権威」が必要なのだ。
例えば分かりやすく言うと、
日本では「日本芸術院」の会員になれればいいのである。
日本では芸術における最高の「権威」である。
そして、その会員に認められる、 さらにその認められた人に認められる。
このような、ある種の「ねずみ講」の様な仕組みなのである。
なので、作品がいくら芸術的であり美術的構造があるとしても、
日本では美術家でもなく、芸術家でもないのである。
この様なある種「権威主義」的な評価制度では、
定量的な評価なんてまったく無い。
「権威」がある人が「良い」と言えば「良い」のである。
それが今回の事件の「自称芸術家」問題の本質である。
これは「権威」というものを「絶対的」に信仰する、
日本社会の問題でもあるが、 それを放置して、
それを利用してきたアート業界内部の問題でもある。
未だに作家でも「権威」を有り難がり、
感覚的な評価を「善」とする人々が多い。
しかし、 いずれの評価制度というのは、
定量的で誰しも理解できるものでなければならない。
それは、「美術的構造」を持っているのか。
それは、「美術的文脈」に沿っているのか。
などなど、作品そのものを客観性を持ち定量的に計る事が必要だ。
美術業界はそれを社会一般に公開し、 しっかりした点数評価などを用いて、
評価する制度を構築し。
それを、社会やメディアに説明する責任を持つ事。
今までの様に「権威主義」的な評価制度では、
社会一般に理解を得る事は難しい。
「権威主義」に変わり、
作品そのものを評価する事を日本のアートシーンの人々に願う。
そして一般市民も「権威」による「評価」を捨て去るべきだ。
これは「アート業界」「日本の社会」双方の問題なのだ。
今回の「自称芸術家」報道の闇は深い。