No.0054

カズオ・イシグロから観る記憶の人格形成

text : mama(美学者母)
2015年4月5日(日曜日)執筆

 

僕は小説はほとんど読まないのだけれど、
カズオ・イシグロの小説はとても大好きです。
カズオ・イシグロさんの詳細はwiki参照。

イギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞されている方なのですが、
時空を扱った作品が多くて、非常に貴重な体験ができる作品が多い。
その中でも「記憶」というものにフォーカスしているのが、
「わたしを離さないで」という作品で映画化もされています。
僕は「小説」も「映画」もどちらも体験しましたが。
この作品では「私」=「記憶」という所が問題提起されており、
「記憶」こそ「私」である、
「私」がその目に観えない「定」にコントロールされていても、
そしてその「定」によって「死」を迎えるとしても。
私たちはその「記憶」によって生かされているのだ。
非常に特異な「テーマ」が設定されており。
昨今の「テクノロジー」と「人間」の関係性とも相容れるものです。
特に最近「テクノロジー」を利用して「記憶」を操作する 、
その様な最先端のテクノロジーが研究されてきています。
iPS細胞然りですが、 テクノロジーと哲学というものは両輪の様なものです。
テクノロジーが進歩すれば倫理も変わってきます。
例えば「記憶」というものは「人格」に多大な影響を及ぼします。
「記憶」を操作できるというのは「人格」を操作出来る事と同義です。
それを利用していたのが「オウム真理教」です。
彼らは「覚せい剤」を信者に使用し、ある種の「人格」を操作していました。
しかし、「記憶」を操作する事で様々に有用な事もできてきます。
簡単に言えば、あらゆる「精神疾患」などです。
特に「トラウマ」などには非常に有効的でしょう。
このように「テクノロジー」とは、
すべてにおいて「作用」と「副作用」があります。
「人間」は「テクノロジー」の進化を止める事はできません。
それは「人間」の「本質」だからです。
そして「作用」と「副作用」とどう向き合っていくのか。
そういった「問題」に必要になってくるのが「芸術」だと考えています。
もちろん今回紹介した「カズオ・イシグロ」の小説もそうですが、
これから「芸術」が担っていく役割も、
大きく変わっていくのではないでしょうか。
変化を恐れず前に進んで行きたいものです。