No.189

ネオテニー論から考える未来

text : mama(美学者母)
2017年1月7日(土曜日
)執筆

 

“幸福”を探して 人類250万年の旅 〜
リーダーたちも注目! 世界的ベストセラー

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3912/1.html

 

私はネオテニー論を根本に考えますが、
フィクション、
すなわち創造力は、
ある種ネオテニー論的に、
獲得した能力だと考えています。

それはおよそ2万年前に、
獲得したと予想され、
ラスコーの壁画などと同時期で、
それ以降、
人類は急速に道具類を発展させます。

ラスコーの壁画も道具もそうですが、
概念と形、
この二つの並列思考を獲得した、
それは「愛」を獲得したともいいます。
すなわち、
人間たらしめているのが、
並列思考で、
動物というのは、
直列思考です。

しかし、
それと同時に人間は、
集団というものを広げていくことになります。
それが今でいう社会なわけですが、
社会を作ることによって、
ホモサピエンスは生き延びたと言われています。
だいたい古い部族というのは、
20人程度の集団でしたが、
その後、
飛び道具を人類が獲得し、
多くの人間を監視できる様になると、
その集団は数百人と増えていくことになります。

その上で、
ホモサピエンスが獲得した、
並列思考、
つまり愛が重要になります。
集団が膨らめば、
すべての人間を監視できなくなってしまいます。
そこに社会性というものが発達し、
お互いに共通の認識というものが、
発達するわけです。

すなわち、
神様や、
現代でいうルールの様なものです。
そしてその集団が、
大きくなった現代の姿が国家です。

つまり、
私たちが信じている、
あらゆるもの、
ルール、憲法、法律、倫理、宗教。
それらは、
社会秩序を守るための「道具」であり、
その「道具」は古代では、
飛び道具だったわけですが、
現在は、
それぞれの思い込みに依存した、
「フィクション」だという事です。

つまり、
そのフィクションをいかに信じているか、
というのが、
ある種その国家の秩序に繋がります。

そんな現代国家の中でも、
そのフィクションを盲目的に、
信用しているのが日本人です。
いわゆる「空気」というのは、
日本人特有の「フィクション」ですね。

私はネオテニー論から、
これからの日本人の幸福を考えると、
まず、
世界に真実は無いという立脚から、
始めなければなら無いと思います。
つまり、
すべてはフィクションであるという認識です。

例えば「憲法改正」の問題でも、
日本人は自分たちで創造する事を嫌います。
つまり与えられたルールは盲目的に、
信用しそれを必要以上に守ろうとしますが、
自らでそのルールを創造しようとはしません。

これからの日本人の幸福は、
みずからフィクションを創造していく事。
それがとても大切だと考えています。

 

 

美学者母