No.0201

学問とはなんなのかという話

text : mama(美学者母)
2017年2月13日(月曜日
)執筆

いまのアカデミアには「常識」が足りない
:京大の異分野融合請負人・宮野公樹"

http://wired.jp/2017/02/11/interview-naoki-miyano/

 

昨今の最先端の学問分野での取り組みとして、
様々な境界を取り除くという取り組みが活発です。
それは先日批判した、
大阪芸術大学アートサイエンス学科創設の話にも繋がります。
細分化して専門性を持つという事に、
もう学問としての価値は無いのですね。

今回その様な思いもあり、
京大の異分野融合の記事を取り上げてみました。
この様な取り組みは世界中で行われており、
特にMITメディアラボなどは有名です。

この様なボーダーを取り除く事で、
創造性が活発化し、
新しい発見や、
新しい気づきが生まれる事は、
実証されています。

そんな中で今の大学の役割、
さらに私自身の立ち位置にも言及したいと思います。

今大学は役に立つ事を求められています、
さらにそれは今すぐ役立つ事を、
それはすなわち研究に時間をかけれないという事と同義です。
つまり突拍子もない研究はできないという事ですね。
あくまで演繹性として時間軸でみても、
すぐに人間の役に立ちそうな事が研究されます。
それはある種、
現在における最先端のテクノロジー研究に他なりません。
現在はこのレベルだから、
もう少し人間にとって便利に合理的にする。
すなわち方法論としての研究が盛んとなります。
これはその分野をいかに先鋭化させるのかという研究です。

しかし昨今最先端の数少ない所では、
その分野に限られた先鋭化をするよりも、
様々な分野や専門が入り乱れる事で、
思いもよらなかった、
新しい発見や気づきが生まれています。
この様なプロセスから生まれた発見や気づきは、
今の私たちの社会や世界にどう有用なのかはわかりません。

つまり即時的有用性が薄いものなのです。
しかし新しい発見や気づきというものは、
いつか人間の役に立つ事は間違いないのです。
ただ今の演繹性では見えてこないだけなのです。

この記事でも書かれている通り、
学問とはなんなのかというものが、
ここで問われてくるわけですが、
僕自身も考えている事ですが、
学問とは反省であり自己への問いです。
今有益ではないが、
この発見や気づきが、
人類にとって、世界にとって、社会にとって、
いかに有益なのかを考える事が学問だと考えています。

実はこのテーゼはアートや芸術、美術の世界でも、
同じ様な事が起こっています。
例えば、今活発に日本中で行われている芸術祭、
テクノロジーを使ったチームラボの様なもの、
アートに即時的な有用性を求めている事に、
非常に危機感を覚えています。

僕自身は自らを創造者としていますが、
芸術や美術、アートも、 ある種学問であると考えています。
そして現在において、
真に学問を突き通すのは、
僕の様なインディペンデントな創造者だと考えています。

僕も色々な作品を発表していますが、
現時点では一般的には形も浮かび上がって来ない、
その様な作品群です。

それはそもそも、
即時的な有用性を求めて僕は制作していないからですね。
僕はもっと人間の、世界の、社会の、
普遍的な問い、超越論的な問い、原理、真理。
それを自分自身反省し、問い、思考して、
それらをアウトプットしています。

つまり極論をいいますと、
僕の作品は人間にとって、 人類にとって、
芸術に、美術に、アートになるのかも解らないものです。

つまり私は、
それを自分自身に問いを投げかけているわけです。
つまりここでいう所の学問です。
僕の考えている事に共感を集める事があれば幸いですが、
僕が死ぬまで共感を集める事が出来ないかもしれません。

しかしこの事実は揺るぎません。
私は、
自分の作品が人間にとって、人類にとって、
芸術に、美術に、アートになるのか、
という問いや反省を、
一生かけてやっているという事です。

それが芸術なのではないでしょうか。

 

美学者母