No.205

人生のコストパフォーマンス

text : mama(美学者母)
2017年4月14日(金曜日
)執筆

 

皆様お久しぶりーふ!!!
この4月から、
本格的に狭山美学校を始動させまして、
民宿に関しては、
2016年の6月頃から、
民宿、アート、美学というコンセプトで、
少しづつ運用はしていたのですが、
この4月からはもう少しシステマティックに運用し、
本腰を入れていく事になり、
なかなか文章を書く時間がとれていませんでした。

それで僕のアート活動も20年目になろうとしています。
ある程度20年前に自分の設計図というものを描きまして、
少しづつではありますが、
その設計図をクリエイトしていく事ができています。

まぁなんですかね、
他人から僕の事を観ていると、
好きな事しかしていないように観えるみたいですがwww
うんっ、その通り!!!
間違いなく好きな事以外していません、
というか好きな事しかしませんwww

と、ただのワガママな美学者母ではありません。
ここから題目でもある「人生のコストパフォーマンス」、
その事へと話を広げていきたいわけですwww
僕が強く思う事があるのですね、
それは、
「好きな事だけで生きていく」、
それっていかにも、簡単で、楽で、容易。
そんなイメージが浮かびますが、
実際は全く逆なんですね。
本当にリスクだらけですwww
さらに言うと、 それはそれなりの覚悟と勇気が必要です。
つまり、 人間嫌な事を我慢して生きていく方が簡単!!!
だから皆んな嫌な事でも我慢しているわけです。
それは簡単だから。

さらに言うと、
実はこの命題には非常に哲学的な問いが存在します。
つまりこの哲学的な問いこそが、
人間が好きな事だけで生きていく事の、
一番の障壁なわけです。

もっと言うとこれは「美徳」、「善」、「悪」、
その様な話でもあるのですね。

つまりここまで僕が何を言いたいかを要約すると、
「美徳」を得るために、
人間は多大なるコストを支払っているという事です。
それがつまりこの題目の、
「人生のコストパフォーマンス」につながります。

ではここからその本題である、
「人生のコストパフォーマンス」について、
話していきます。
僕がこの20年、
好きな事だけをしてきて一番大きな気づきがあります。
それはいかに人間が無駄なコストをかけて、
「日常」を「演出」しているかという事です。
これは「己の美徳」に生きず「他人の美徳」に生きる。
それはある種の体裁とも言えます。
つまり人間が生きているほとんどのコストが体裁、
すなわち体裁を作るためのコストだと気付いたのです。
逆説的に人生に沢山コストをかける人は、
それだけ体裁に沢山コストをかけているという事です。

僕はそれに気づいてから、
いかに自分の人生のコストパフォーマンスを上げるか、
それをとても重要に意識してきました。
そうする事で理解できるのが、
人生は実は非常にローコストで楽しく生きていけるという事。
つまり人生は「好きな事だけで生きていく」方が、
ローコストであるという帰結なのですね。

その代わりに、
一切の体裁は排除していかなければいけません。
それが前述した「覚悟と勇気」なのです。
おそらく今後近いうちに、
僕の様なライフスタイルが重要になってきます。

なぜなら別の文章でも言及しましたが、
今後どんどん産業は衰退していき、
産業を担っていくのは人間では無く、
ロボットやAIです。
だからこそ今「好きな事」が重要なエレメントなのです。
そして「人生のコストパフォーマンス」をいかに上げるか、
それがもっとも重要なテーマです。

この様な話にはある種倫理的な問題もあります。
それは「好きな事」だけで生きる違和感です。
つまり、
ある種ルサンチマン的な、
不幸に耐える事自体を「美徳」とする思考が、
人間には多かれ少なかれあるのです。

しかし私は、
ある種の「快楽主義」を否定しません。
なぜなら人間は、
そもそもDNAレベルから、
快楽を追い求めて生きているからです。
今後この様なパラダイムシフトを理解して、
自らの思考をシフトし、
ルサンチマン的なある種「快楽」を脱しなければ、
本当にただ「不幸」な人になってしまいます。

皆様も改めて、
自分自身の「人生のコストパフォーマンス」を、
見つめ直してみてはいかがでしょうか。

 

 

美学者母