皆さま2019年、
あけましておめでとうございます。
という事で2019年になったわけですが、
今年からYoutubeを本格的に運用していく予定です。
Youtubeのチャンネル自体は、
10年以上前から持っていて、
色々と映像をアップしていたのですが、
アート活動のツールとしては、
なかなか使えていない状態でした。
そんな中で、
今回本格的に運用を始めていこうと、
考えているわけですが、
なぜこのタイミングで、
アート活動としてYoutubeを、
本格的に運用していくのか、
それを述べていきたいと思います。
それは実は簡単な事で、
もはやこの時代において、
私たちのような創造者、
表現者の活動のツールとして、
Youtubeなどの映像を使わないということは、
もはや活動を放棄しているのと、
同じ様な事になってきているという事なのです。
しかしなぜ私が今まで、
Youtubeなどの映像での活動を、
躊躇してきたのかというと、
Youtubeなどの映像媒体での、
情報伝達の構造的問題があったからです。
ではその構造的問題とは一体何かというと、
それは映像の本質的な芸術構造が、
時間軸を持ち、
その連続性が対象者に受動的に与えられ、
感覚的領域において、
その情報は消費されるという事です。
つまり簡単に申しますと、
こちらが伝えたいというものが、
そのものの本質という深さではなく、
表層的なものとして扱われ、
その伝えたい本質が、
伝わりにくいという構造的問題です。
今私が文章を書いている様な、
文体としての言語表現では、
芸術構造として奥行きというものが、
ある程度存在するのですが、
映像というのは、
非常に奥行きを持ちにくいという、
芸術構造の問題があります。
その様な考えから、
自分自身の考え、
表現や創造というものを、
なかなか映像にするという事に、
踏み切れなかった理由になります。
しかし時代は待ってくれません、
あらゆる表現形態は、
ある種表層的な映像へと流れ、
また表現を受け取る側も、
映像中心の世界へと入っています。
そんな中で、
なんとか私も映像を使わなくては、
この時代においていかれる、
その様な危機的状況をブレイクスルーすべく、
色々と考え抜いた結果、
映像というものの捉え方を、
私自身の中で変化させる事にしたのです。
それは、
映像をただの拡散ツールとして割り切る事です。
この様な考え方は、
アーティストや様々な表現者、
創造者に見習って欲しいのです。
なぜならば、
現在のアーティストは、
自分自身の作品を創ればそれで終わりです。
そしてなんとなく個展などの展覧会をして、
いつも決まった様なメンバーに見てもらって、
それで終わりです。
私は今のアーティストや表現者、
創造者に一番足りないのは、
より多くの人に認知してもらう努力だと考えています。
つまり作品とは「伝えたい事」ですが、
「伝えたい事」を「伝わる様にする」努力を、
全くしないのです。
これって実は、
一般的な常識からすると、
非常におかしな事なのです。
例えば普段のコミュニケーションでも、
自分が「伝えたい事」があれば、
伝えたい人へ「伝わる様にする」、
つまり「話す」わけですが、
今のアーティストや創造者、
表現者は「黙っている」だけなのです。
普通は「黙っていれば」、
何も伝わらない事が理解できますが、
今までのアーティストや創造者、
表現者はそれを理解していないし、
自覚していないのです。
つまり私にとって、
今回Youtubeを本格的に使っていこうと、
考えているのは、
「伝えたい事」を「伝わる様にする」、
その「伝わる様にする」方法なのです。
それはまず私自身のアーティストとしての、
「認知度」を増やす事、
美学者母という存在を「拡散」する事、
つまりそれは、
本質的に私の「アート」を体験、
理解する対象の、
「絶対数」を増やす事なのです。
情報の伝達というのは非常に難しいです。
伝えたい事が、
誤解して伝わっていく、
そんなことは当たり前にありますし、
どんどんと自分を嫌う人も増えてきます。
しかしその様な事を怖がっていては、
本当に、
本質的に「伝えたい事」を「伝わる様にする」、
その様な事をスケールすることができません。
私が本質的に伝えたい体験して欲しい、
「アート」を例えば一人増やそうとすれば、
百人の人の誤解を産まなければならない、
しかしそのリスクを負っても、
一人増やせるメリットを優先させたいのです。
私が今回Youtubeという映像媒体を通じて、
何をしたいのか、
そしてなぜこのタイミングなのか、
その様な事を述べてきましたが、
これからの、
アーティストや創造者、
表現者には当たり前の方法論になるでしょう。
美学者母