No.208

少し自由になれたあの真夜中

text : mama(美学者母)
2017年4月27日(木曜日
)執筆

 

僕がクリエイター、
つまり創造者になろうと本気で思ったのは、
17歳の頃、
スケートボードPLANBのビデオで、
ルイアームストロングのバックミュージックで、
スケートしていたロドニーミューレンに衝撃を受けてからだ。

そして10代後半、
下手くそながらもスケートボードを始め、
真夜中にストリートをプッシュした時、
僕は「自由」を感じた。

それと同時期の後半に、
僕は新しい自由を求め動き出した、
ストリートは僕にとって自由を与えてくれる、
他に代え難い「場」であった。

真夜中にスプレー缶をバッグに詰め、
大阪のミナミなどにBOMBして歩いた。
僕は「自由」を感じた。

しかし僕はその時自分自身に問いを投げかけた、
「お前は本当に自由か?」
僕は本当に自由なのだろうか?
そもそも自由とはなんなのだろうか?
そんな単純な問いにさえ僕は、
僕自身に答えてやることができなかった。

そんな中で僕は、
現代アートに「自由」を感じた。
そして現代アートを学ぶ上で、
「リベラルアーツ」や「教養」に出会うことになる。

僕は若い頃勉強を拒絶していた、
それは「自由」になりたかったからだ。

そして30歳になった時に、
真に「自由」になるには、
リベラルアーツや教養すなわち学ぶ事が必要だと知った。

僕はあらゆる分野を学び、
真に「自由である」事を実感した。

しかし僕は今も、
「お前は本当に自由か?」
という問いを常に己に投げかけている。

反省のないものに成長はない、
問いのないところに自由はない。

僕はただ「自由」を求めて生きてきた、
それが僕が、
「アンダーグラウンド」から「アカデミック」、
その様な幅の広い知見を持つきっかけとなった。

自由は素晴らしい、

だから自由を求めて生きていく。

 

美学者母

 

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