僕がクリエイター、
つまり創造者になろうと本気で思ったのは、
17歳の頃、
スケートボードPLANBのビデオで、
ルイアームストロングのバックミュージックで、
スケートしていたロドニーミューレンに衝撃を受けてからだ。
そして10代後半、
下手くそながらもスケートボードを始め、
真夜中にストリートをプッシュした時、
僕は「自由」を感じた。
それと同時期の後半に、
僕は新しい自由を求め動き出した、
ストリートは僕にとって自由を与えてくれる、
他に代え難い「場」であった。
真夜中にスプレー缶をバッグに詰め、
大阪のミナミなどにBOMBして歩いた。
僕は「自由」を感じた。
しかし僕はその時自分自身に問いを投げかけた、
「お前は本当に自由か?」
僕は本当に自由なのだろうか?
そもそも自由とはなんなのだろうか?
そんな単純な問いにさえ僕は、
僕自身に答えてやることができなかった。
そんな中で僕は、
現代アートに「自由」を感じた。
そして現代アートを学ぶ上で、
「リベラルアーツ」や「教養」に出会うことになる。
僕は若い頃勉強を拒絶していた、
それは「自由」になりたかったからだ。
そして30歳になった時に、
真に「自由」になるには、
リベラルアーツや教養すなわち学ぶ事が必要だと知った。
僕はあらゆる分野を学び、
真に「自由である」事を実感した。
しかし僕は今も、
「お前は本当に自由か?」
という問いを常に己に投げかけている。
反省のないものに成長はない、
問いのないところに自由はない。
僕はただ「自由」を求めて生きてきた、
それが僕が、
「アンダーグラウンド」から「アカデミック」、
その様な幅の広い知見を持つきっかけとなった。
自由は素晴らしい、
だから自由を求めて生きていく。
美学者母