No.238

社会への自己主張の大切さと
社会への自己主張の困難さ
(社会的リフレーミングの意味)

text : mama(美学者母)
2018年3月27日(火曜日
)執筆

 

皆さんこんにちわ!!!
はいっどもっ、
毎度おなじみ美学者母です。

最近私が考えているキーワードといえば、
「リフレーミング」です。
これはトラウマ治療などでも使う手法で、
EMDRでリフレーミングなどは有名になりました。
しかし副作用などもあり、
現在ではあまり使われていないようですが、
非常に有用な手法です。

こういった精神的なリフレーミングと同様、
私は社会的なリフレーミングを考えているわけです。
それはどういう事かというと、
新しい概念や思考を社会で実践するという事です。

私はこの実践が最も重要だと考えています。
よくそこいらにいる、
哲学者や思想家なんかは、
つまり机上の空論を言ってるに過ぎないわけですね。
思考の戯れですwww

それはそれで、
自慰行為的快楽は得れるでしょうが、
私には興味もなく魅力のないものです。

私が興味があり魅力を感じるのは、
やはり社会的インパクトを伴うものです。
そしてその社会的インパクトを与えた時に、
伴うのが社会的リフレーミングなのです。

しかし日本のように成熟した社会というのは、
規制、つまりルールががんじがらめになり、
それが既得権益化するわけです。

これはアートの世界のみならず、
社会全般に言える事です。
つまりここで私が何が言いたいかというと、
日本のように社会が成熟している国では、 規制、
つまりルールなどを、
いかに破壊していくのかという事が、
一つの大きな社会問題になってきます。

 

これらの話は国家規模でも、
色々な規制緩和を模索しているように、
成熟した国家には必然的な道なのです。

しかしこれは、
アンチノミー的テーゼなのです。

ルールが極度に強められた社会で、
そのルールを一番に破っていく、
すなわち現在の社会というのは、
この様なアンチノミーな行いを、
正々堂々と行っていかなければなりません。

さらにここで私が何が言いたいかというと、
社会へ実践し、
社会的インパクトを与え、
社会的リフレーミングをしていこうと考えれば、

自己矛盾を怖がっていてはダメだという事なのです。

私たちは自然科学の信仰により、
「矛盾」への「悪意」を増幅させています。
しかしこの世界の真理とは「矛盾」なのです。
例えば「対称性の破れ」などを考えてみても、
それはある「意味の場」における合理性でしかない、

つまり「科学」とは、
「自然科学的意味の場の合理性」に他ならない。

私は「自己矛盾」を大いに歓迎したいと思うのです。

しかしながら、
社会というのは、
この「矛盾」を問題にし、
その規制、ルールの合理性を主張します。

しかし私はさらに、
この様な論理で、
「自己矛盾」の合理性を主張したいと思うのです。

私もアートや社会に対して、
様々な自己主張を展開しております。

社会でいえば実際に弁護士を挟んで、
係争している案件もありますし、
アートでも、
既得権益者たちに対し、
リフレーミングを迫っています。

しかし実際にこの様な活動をしてみると、
たった一つの自己主張を、
社会的に認めさせるという事でも、
非常に困難であり、
かなりの労力を必要とするわけです。

ここで最も重要なエネルギーが、
リビドーです。

そしてそのリビドーを支える美学です。

私は「根拠のない使命感」を持っています。

それは全く根拠のないものです。

私はその「使命」を授かっているから、

「生きている」のだと考えています。

 

 

美学者母

 

 

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