No.239

岸和田生まれ、団地の鍵っ子、
幼馴染はヤクザか右翼、
スケボーとグラフィティに魅了されたBBOY、
ドラッグは歩いて一分のゲットーキッズ
(美学者母の生い立ち)

text : mama(美学者母)
2018年4月2日(月曜日
)執筆

 

そもそも僕の事を、
大きく勘違いしている人が多いので、
ここらできっちり修正しておこうと思い、
僕の生い立ちなどを書いてみようと思います。

普段なんとなく真面目で、
それっぽい事を書いているので、
えらく真面目な人間なのだろうと、
思われている僕なわけです。

しかしそもそも生まれは、
岸和田の府営団地で、
低所得者層の巣窟で生まれ育ちました。

それこそ団地には、
ヤクザや不良が沢山住んでいて、
僕が住んでいた棟の裏に、
給水塔という塔が建っているのですが、
そこにシンナーのドラム缶が置かれていたのを、
今でも鮮明に覚えております。

そこは不良がシンナーを吸って、
溜まる場所にもなっていました。
幼少期の思い出は他にも、

砂場で遊んでいると、
一人の男を追いかけて、
警察官数人が、
砂場を横切るとか、

昨晩飛び降り自殺した、
落ちた後の血痕を、
避けて学校に登校したり。

一年に何回かは飛び降り自殺があり、
幼少期はまた飛び降りかって、
慣れてしまいました。

近頃ラッパーで、
団地育ちのラッパーが、
その生活をリリックにしていますが、
すごく納得するリリックです。
例えば、
アナーキーだったり、
kohhだったり。

だいたい団地の幼馴染ってのは、
不良が多いわけで、
その後はヤクザとか街宣右翼。
そんな風になっていく幼馴染が多いわけで、
幼馴染も生きているのか死んでいるのか、
たまにニュースで逮捕された事を知りますwww

そんな僕がそういった道に進まなかったのは、
その頃から親が野球をさせていて、
岸和田リトルリーグってチームに入ってたんですね。
まぁ元西武の清原さんの居てたチームで、
その清原さんもシャブ中になってね。

その後鳥取県の倉吉北高校って所に、
野球留学をするので、
地元は3年間離れます。

それで18歳で岸和田に帰ってきて、
鳥取県でスケートボードを始めてたので、
近くのスーパーの広場でスケートしてたら、
幼馴染にばったり会ったりして、
そこからスケートボードをしたり、
グラフィティをしたりしてました。

地元の幼馴染なんかは、
その頃にはドラッグの売人してたりで、
ドラッグは歩いて一分で、
手に入る環境にいましたねwww

まぁあまり詳しい事は書けませんが、
20歳位までには、
一通りなんでもしました、
悪い事も良い事も。

それと同時に、
当時ストリートカルチャーからの、
アートのムーブメントが発生して、
僕はそのムーブメントにやられたわけです。

当時東京にアレッジドギャラリーなんかができて、
いわゆるスケーターやストリートカルチャーの人間が、
アート活動するってやつで、
ツイストとかマーガレットキルガレンとか、
マークゴンザレス。

それが鳥取県から帰ってきた、
18歳の頃で、
1997年か1998年位に、
僕はアートに命をかけようって誓ったんです。

僕の場合アートに入ってきたのが、
特殊なので、
その辺を皆さんに知って頂きたいなぁと、
今回書かせて頂きましたぁ。

それではそれでは!!!!

 

 

美学者母

 

 

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