No.248

アートのある場所、
近代美術は美術館、現代美術は市場。
量子論美術、芸術派生のある場所は・・・
(次代のアートのある場所)

text : mama(美学者母)
2018年5月21日(月曜日
)執筆

 

マルクス・ガブリエルの、
「なぜ世界は存在しないのか」、
というものを改めて実感したのは最近、
世間的にも天才と言われている二人の議論を見て、
やはり「世界は存在しないのだ」と実感した。

それはその天才二人の議論が全く噛み合わないからである。
その上で私はこの二人がなぜこんなにも、
議論が噛み合わないのか、
明確に理解することができるのです。

私は天才ではないわけですが、
この様な横断的認知という能力が、
自分でもある様に考えています。

この二人の言っていることは、
どちらとも全く正しいことを言っていますが、
アンチノミーを起こしてしまうのです、
実は物事の真理とは、
このアンチノミーこそが真理なのです。

科学的言えば「自発的対称性の破れ」とも、
捉えることができるのではないでしょうか。

つまり人間の概念世界というのは、
「つじつま合わせの世界」であるという事です。

その様な論理からいうと、
私たちの概念世界こそが虚像であり、
概念世界では捉えられない世界が真理である。
その様な事になるわけです。

つまり概念世界では捉えられないものが、
「真理」であるならば、
人間は真理を捉えることができません。
そして「世界」というものが、
「真理」の現れであるのであれば、
それは「世界は存在しない」、
その様にも言えるという事です。

 

という事でこの辺から本題の、
アートのある場所という話をしていくわけですが、
それもこの前述した論考と関係の深い事なので、
その辺も考慮して読んでください。

まず「アートのある場所」というのは、
全く恒久的なものではないわけです。
それは美術史的な起源的アートもそうですが、

「アートのある場所」というのは、
常に変化してきています。

古典で言えば「権威」、
近代で言えば「美術館」、
現代で言えば「市場」、

そして私が今取り組んでいる、
ポスト現代アート、
ポスト現代美術の概念。
「量子論美術」「芸術派生」、
これらの「アートのある場所」はというと、
これは「情報空間」である。
その様に考えています。

これはアートに限った話ではなく、
必ずアートは社会システムと同期します。

ですから、

古典は「権威」(貴族的社会)
近代は「美術館」(公共的社会)
現代は「市場」(資本的社会)

量子論美術、芸術派生は「情報空間」(分散型社会)

この様に私は定義づけています。
そしてアートはいつの時代も、
造形を使って真理にたどり着こうとする行為です。
しかしこれらは冒頭にも記述した通り、
アンチノミーな振る舞いなのです。

それは、
造形という虚像を通して、
造形では表層できない真理を、
造形で表層させる。
この様なアンチノミーな振る舞いそのものが、

実は真理であるということを理解することが重要です。

そしてそれは、
社会的構造、
社会システムなどが変化すれば、
それを表層させるための造形、
もっと言えばマテリアルは変化する。

その社会的構造や、
社会システムの、
変化に合わせて表層が変化しなければ、
その真理は浮かび上がってこないということです。

 

ここまで長々とお話ししましたが、
簡単に言えば、
ポスト現代アート、
ポスト現代美術である、
量子論美術や芸術派生のある場所は、

「情報空間」である。
その様な事を今回はお伝えしたかったわけです。

 

それでは皆さん次回お楽しみに!!!

 

 

 

美学者母

 

 

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