今世の中で言われている、
相対的貧困という問題ですが、
僕はその定義からいうと、
その相対的貧困の人間に間違い無いでしょう。
どうでしょうか、
皆さんからみて、
私が相対的貧困に見えるでしょうかwww
それにはそれぞれ意見があると思いますが、
むしろ普段はお金持ちだと思われることが、
非常に多いわけですwww
何しろ車も持っていませんし、
腕時計もしてませんし、
いつも同じ黒いTシャツで、
靴もいつも同じ靴。
では一体私のどこが裕福に見えるのでしょうか?
そもそも相対的貧困など存在しないのです。
相対的貧困という言葉自体、
日本のメディアが作った、
日本の社会が作った幻想なのです。
これがどういった幻想なのか、
それは資本主義をベースに、
経済成長ありきの、
物質主義の蜃気楼なのです。
むしろ私から言わせれば、
相対的貧困=知性の欠如なのです。
物質的占有が裕福であり、
物資的欠如が貧困である。
この様な思考こそが、
そもそも知性の欠如から生まれる。
その様に考えています。
具体的なエピソードとして、
私の親友の話をしてみます。
先日私の親友がテスラ社の車を買って、
こちらまで乗ってきました。
価格は1000万以上する様です。
彼は満足している様にも見えましたが、
私は非常に彼をみて虚無感を抱きました。
私は彼ともっと知性的な話や、
社会や世界をどう変えていくか、
その様な議論ができる親友であって欲しかった。
しかし彼は、
四六時中節税の為に、
そのテスラに乗って走り回っているのです。
これはまさに私から言わせれば、
知性の欠如に他なりません。
また他のエピソードでいうと、
先日ネットの映像を観ていて、
ネットカフェ難民という特集をみました。
その中の一人の男性が、
月40万円近くの収入があるのに、
ネットカフェで生活をしている。
それをネットカフェ難民、
として取り上げられていたのです。
これもまさに先述した、
物質的占有が裕福なのだという、
思い込み、
または洗脳ではないでしょうか。
大きな家に住んでるから裕福だ、
高級な車に乗っているから裕福だ、
この考え方はもう古いし、
これは知性の欠如に他ならないわけです。
今後この様な考え方自体が、
何かしらの足かせになってくるのは、
間違い無いでしょう。
これからは心の豊かさの時代です。
知性や教養の時代です。
心の豊かさ、
知性や教養にはお金はかかりません。
図書館へ行けばたくさんの本があります。
そして良い本との出会いが、
認知を変え、
思考を変え、
生き方を変え、
人間を変え、
人
生を変えてくれます。
私が考える貧困とは、
一冊の本をしっかりと読めないことです。
私が考える裕福とは、
一冊の本をしっかり読めることです。
美学者母