No.252

香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
この時代のポピュラーとは何か?
(世界を広く認知する力と分断される世界)

text : mama(美学者母)
2018年5月28日(月曜日
)執筆

 

最近色々とニュースを観まして、
やはり「ポスト真実」の世界が、
どんどん広がっていると実感しています。

題目にも書いている、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
この二つの快挙?は、
同時に同じ問題を抱えているのだと考えます。

それは「真実」と「ポスト真実」の違い、
その様にも解釈できるのです。
ですから、
今回この二つの快挙?を、
ピックアップしましたが、
こういった類の事象、
例えば日本のアイドル、
エンターテイメント全般、
もっと言えばアートまで、
全てに通底する問題です。

しかし何が問題かというと、
先に言ってしまえば、

大した問題では無いのです。

 

むしろそういった時代である事を前提に、
私たちはこの時代を、
サバイブしていかなければならない、
今回はそういった事を言いたいわけです。

まず「真実時代」のポピュラーと、
「ポスト真実時代」のポピュラーは、
絶対的に違う事を認識しなければなりません。

「真実時代」のポピュラーは、
いわゆるピラミッドの形態をしていました。
それは良い意味でも悪い意味でも、
ポピュラー=誰でも知っている。
その様な構図だったわけです。

「ポスト真実」のポピュラーは、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。

それはどういう意味を持つのかというのを、
具体的に例えてみると理解しやすいです。

例えば「真実時代」のポピュラーは、
アメリカだったらマリリンモンローだったり、
マイケルジャクソンだったり。
日本だったらタモリだったり。

例えば日本でそこら辺を歩いている人に、
タモリ知っていますか?
と聞くとおそらく100パーセント近く、
知っているでしょう。

これがいわゆる「真実時代」の、
ポピュラーだったわけです。

しかし「ポスト真実時代」のポピュラーは、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。

これは簡単に言うと、
自分の世界ではポピュラーで、
他の人もそうだと思い込んでいるが、
そこらの道を歩いている人に、
聞いてみると誰も知らない。

これがいわゆる「ポスト真実時代」の、
ポピュラーなのです。

つまりこれはどういうことかというと。

「真実時代」は、
大きな一つの世界を想定した世界観だったわけです。
これは「大きな物語」とも言えます。

そして「ポスト真実時代」は、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。
これは「大きな物語」の終焉とも言えます。

この様なポピュラーであることの実態は、
思想的なものとも同期していますが、
この様なことも含めて、
ポピュラーというものと、
私たちはこれから向かい合って、
いかなければなりません。

と同時に私たちは新たな武器を手にいれた、
その様にも考えることができます。

何故ならば私たちは今後、
ポピュラーになろうとした時に、
ポピュラーになり得る方法を知っているからです。

それが題目にもある事例、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
という快挙?なのです。

今後ますます、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態、
ダイバーシティは進みます。

 

そんな中で生き抜いていくには、
まず自分の世界が、
全ての世界では無いという自覚、
多様な世界や価値観への理解が必要です。

この様な考えは現在の、
政治などへの姿勢とも同期します。

現在のポピュリズムへの批判を、
バカ丸出しにする人がいますが、
貴方が利口な人間ならば、
そのポピュリズムを創発すればいい、
それだけのことです。

ポピュリズム批判をするだけの人は、
本当の意味でポピュリズムを理解していない、

ポピュリズムをバカだと言っている、
貴方が一番バカなんだよ。

それはこの、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、

こんな快挙?を、
批判しかできない人と同じで、
それを作為的にでも実現できている人間の方が、
よっぽど批判している人より利口だ、
という事なのです。

この様な、
「ポスト真実時代」のポピュラーを、

うまく生き抜いていきたいですね。

 

 

 

美学者母

 

 

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