最近色々とニュースを観まして、
やはり「ポスト真実」の世界が、
どんどん広がっていると実感しています。
題目にも書いている、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
この二つの快挙?は、
同時に同じ問題を抱えているのだと考えます。
それは「真実」と「ポスト真実」の違い、
その様にも解釈できるのです。
ですから、
今回この二つの快挙?を、
ピックアップしましたが、
こういった類の事象、
例えば日本のアイドル、
エンターテイメント全般、
もっと言えばアートまで、
全てに通底する問題です。
しかし何が問題かというと、
先に言ってしまえば、
大した問題では無いのです。
むしろそういった時代である事を前提に、
私たちはこの時代を、
サバイブしていかなければならない、
今回はそういった事を言いたいわけです。
まず「真実時代」のポピュラーと、
「ポスト真実時代」のポピュラーは、
絶対的に違う事を認識しなければなりません。
「真実時代」のポピュラーは、
いわゆるピラミッドの形態をしていました。
それは良い意味でも悪い意味でも、
ポピュラー=誰でも知っている。
その様な構図だったわけです。
「ポスト真実」のポピュラーは、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。
それはどういう意味を持つのかというのを、
具体的に例えてみると理解しやすいです。
例えば「真実時代」のポピュラーは、
アメリカだったらマリリンモンローだったり、
マイケルジャクソンだったり。
日本だったらタモリだったり。
例えば日本でそこら辺を歩いている人に、
タモリ知っていますか?
と聞くとおそらく100パーセント近く、
知っているでしょう。
これがいわゆる「真実時代」の、
ポピュラーだったわけです。
しかし「ポスト真実時代」のポピュラーは、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。
これは簡単に言うと、
自分の世界ではポピュラーで、
他の人もそうだと思い込んでいるが、
そこらの道を歩いている人に、
聞いてみると誰も知らない。
これがいわゆる「ポスト真実時代」の、
ポピュラーなのです。
つまりこれはどういうことかというと。
「真実時代」は、
大きな一つの世界を想定した世界観だったわけです。
これは「大きな物語」とも言えます。
そして「ポスト真実時代」は、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態をしています。
これは「大きな物語」の終焉とも言えます。
この様なポピュラーであることの実態は、
思想的なものとも同期していますが、
この様なことも含めて、
ポピュラーというものと、
私たちはこれから向かい合って、
いかなければなりません。
と同時に私たちは新たな武器を手にいれた、
その様にも考えることができます。
何故ならば私たちは今後、
ポピュラーになろうとした時に、
ポピュラーになり得る方法を知っているからです。
それが題目にもある事例、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
という快挙?なのです。
今後ますます、
分散型で多元的、
そしてサークルの形態、
ダイバーシティは進みます。
そんな中で生き抜いていくには、
まず自分の世界が、
全ての世界では無いという自覚、
多様な世界や価値観への理解が必要です。
この様な考えは現在の、
政治などへの姿勢とも同期します。
現在のポピュリズムへの批判を、
バカ丸出しにする人がいますが、
貴方が利口な人間ならば、
そのポピュリズムを創発すればいい、
それだけのことです。
ポピュリズム批判をするだけの人は、
本当の意味でポピュリズムを理解していない、
ポピュリズムをバカだと言っている、
貴方が一番バカなんだよ。
それはこの、
香取慎吾のルーブル美術館での個展、
防弾少年団のビルボード一位、
こんな快挙?を、
批判しかできない人と同じで、
それを作為的にでも実現できている人間の方が、
よっぽど批判している人より利口だ、
という事なのです。
この様な、
「ポスト真実時代」のポピュラーを、
うまく生き抜いていきたいですね。
美学者母