意識のハードプロブレム問題というものがあります。
私自身の中では解決済であるので、
私がこの意識のハードプロブレム問題を、
どう問題にし、
どう解決したのか、
それを言説していきます。
まず「私」というものを確認するときに、
まず「私という意識」を確認するわけです。
これは哲学のデカルトでも有名な、
「我思うゆえに我あり」、
この様な言葉があります。
しかしこれは、
「私」が「私」を実質的に確認できているのでしょうか、
このコギトは実質的に、
「私」が「私」を確認しているわけではありません。
原理的に「私」が「私」を確認することはできないのです、
コギトでは超越論的主体というもの、
その主体を使うことで、
このコギトは成立します。
「それ自体がそれである事は確認できない」、
というのが世界の真理なのです。
では私は超越論的主体というものを使わずに、
どうやって「私」が「私」である事を確認するのか、
まずその問いに答えていきたいと思います。
まず単純に考えると、
「私」が「私」である事を確認するという事は、
「私」とその「私」である事を確認する「私」が、
実質的に必要となります。
つまり、
「私」というものが二人必要になるわけで、
この辺が根本的な矛盾を起こしてくるわけです。

では私はどの様にこの矛盾を解決するのかというと、
図の様な形で「私」を確認することにします。
図で見れば理解できる様に、
「私」を確認しているのは「世界」です。
一般的な考えだと、
「私」と「世界」は違うのだから、
「私」が「私」を確認するという事を、
解決できていない様にも思えますが、
私が考える「世界」とは、
まさに「私」を確認しうる、
「もう一人の私」、
それは一般的に「意識」と呼ばれているものです。
つまり私が考える「意識」とは「世界」の事とも言えます。
ですから「世界」とは「意識」なのです。
そして「意識」というものが「ある」とした時に起こる問題、
それが「意識のハードプロブレム」です。
つまりそれは、「物質」である「脳の作用」が、
どうやって「非物質」である「意識」を産み出すのか、
その様なある種、
「心身問題」「心脳問題」となり、
この問題に対しては私は「情報一元論」という解答を、
すでに発表しています。
それはつまり、
「物質世界」と「非物質世界」という二元論で認識せず、
「情報世界」という一元論で認識するという解答です。
この点に関しては、
こちらの言説をお読みください↓
情報一元論としての
芸術、美術、美学。
(世界は情報である)
私が考える世界とは「情報世界」です、
つまり「物質」も「情報」である、
または「情報」から産まれていると考えます。
ですので、
根本的に「意識のハードプロブレム」は、
私にとっては逆方向の「意識のハードプロブレム」になります。
それはつまり、
「物質」である「脳」が、
どうやって「非物質」である「意識」を産み出すのか、
という問題ではなく。
「非物質」である「意識」が、
「物質」である「脳」をどう産み出すのか、
という下記の図のような問題の違いを産み出します。

しかしそもそもその問いは、
「物質」から「非物質」の生成、
「非物質」から「物質」の生成、
それを問題にしているわけです。
しかし先にも記述したように、
私は、
「物質」も「非物質」も「情報」である、
「情報一元論」として解答しています。
ですので私の、
「意識のハードプロブレム」への解答は、
また全く違う解答になってくるのです。
つまり「物質情報」と「非物質情報」が、
「情報」として「存在」するという証明が、
その解答になります。
まず「物質情報」は一般的にも、
「視覚情報」、
「聴覚情報」、
「臭覚情報」、
「触覚情報」、
「味覚情報」、
この様に私たちは、
その情報がある事を知っています。
では「非物質」情報はどうでしょう、
「感情」というのも、
わかりやすい「非物質」な情報ですが、
もっと理解しやすいのは、
今何かをイメージしてください。
例えば好きな食べ物とか、
車、景色、お化け、
なんでもいいですが、
そのイメージは確かに存在します。
その「非物質」な情報が存在している事は、
私たちが有る事を身をもって知っているのです。
つまり「情報世界」という統一は全く可能なのです。
ですので、
「意識のハードプロブレム」に対して、
「情報世界論」をもって解答にあたります。
しかしその「情報世界」は、
特に私たちが、
「私」が「私」であると確認する「私」は、
どこに存在するのかという、
大切な問題にはまだ解答できていません。
その問題を、
「意識」、
「無意識」、
「変性意識」、
という「非物質世界」の、
存在のありかを確認し解答していきます。
まず下記の図を参照ください。

先にも記述しましたが、
私が考える世界というのは、
「物質」から「世界」が生じるのではなく、
「非物質」、
つまり「意識」から「世界」が生じている、
その様に解答してます。
私は上記の図の様に、
「人間」の「変性意識状態」が「真理的世界」である、
その様に定義しています。
そして「無意識」をベースにし、
「意識」を持った「人格」が形成される。
それが「人間」であると解答します。
「人間」は「真理的世界」の「住人」であり、
「物質世界」よりも「抽象度が高い」世界に真理を持ちます。
そして「人間」の属する「抽象度」から、
「抽象度の低い」「物質世界」へコネクションするのが、
「人間の脳」なのです。
つまり「脳」というのは、
一般的にいう「センサー」の役割をするのです。
その「センサー」は、
「物質世界」から「非物質世界」への「変換器」ともなります。
そしてここで一番大切なものが、
「変性意識状態(真理的世界」です。
この変性意識状態は、
全ての「人間」が「共有」する「世界」です。
つまり私たち「人間」は、
この「真理的世界」において、
全て繋がっているのです。
例えていうならば、
私たち人間は、
この一つの「真理的世界」を持ち、
「物質世界」へ「突起」する事で、
「物質世界」への「センサー」を稼働させ、
「生命」や「意識」を生成し、
一人の「人格」を形成するのです。
しかし人格を形成したとしても、
「変性意識状態(真理的世界)」は、
他の全ての人格と繋がっているのです。
つまり「人格」または「人間」は、
「物質」に「センサー」を働かせた、
「真理的世界」の「突起」に過ぎないのです。
この「突起」がいわゆる「人間」であり、
「意識」であるのです。

ではこの様な事から問題となっている、
「私」が「私」である事を確認する「私」は、
どこに存在するのかという答えは、
上記の図でいうと、
脳を頂点とする三角形の底辺の、
「変性意識状態(真理的世界)」に、
「私」が「私」である事を確認する「私」は、
存在しているのです。
私はこの様な解答で、
「意識のハードプロブレム」に解答するのです。
最後に余談ではありますが、
この、
「変性意識状態(真理的世界)」という存在を、
実質的に確認する方法が実はあります。
それは「洗脳」や「催眠」で実証できます。
この共有する、
「変性意識状態(真理的世界)」から、
相手の人格に侵入し、
相手をコントロールする事が可能で、
大体の「洗脳」や「催眠」は、
この手法を使っています。
この辺はご参考までに。
美学者母