No.272

アーティスト、芸術家、美術家だから
馬鹿でいいって誰が決めた?

text : mama(美学者母)
2018年8月6日(月曜日
)執筆

 

「アーティストは馬鹿だ!!!」
これを感じたのは、
私が現代アートを始めた頃、
今から20年以上前の事だ。

その頃から考えると、
今は少しだけ、
「アーティストのあり方」は、
変わってきたのかもしれない。

 

しかしそれから、
様々なアーティストと直接的間接的に、
話やその人の思考を聞いてみても、
頭のいいアーティストに出会った事がない。

少し頭のいいアーティストはいるが、
本当に数える程度で、
99パーセントは「アホ」だ。

「アート業界」で、
何か気の利いた話をするのは、
「批評家」や「評論家」で、
それらは「気の利いた」言説をするのであって、

これまた「頭がいい」わけではない、
それなりに学歴があるので、
アーティストよりは、
少しはマシな様に社会では認知されている。

どちらにしろ、
「頭がわるい」のである。

 

アーティストだから、
アート作品だけ創ってるアホ。
アートの批評家、評論家だから、
アートの批評、評論だけしているアホ。

これはアートに限った話ではないのだが、
そもそも歴史的にカテゴリされた領域だけ、
それだけを馬鹿みたいにやってるのはアホなのだ。

 

私が「頭がいい」と言っているのは、
そのカテゴリーをブレイクスルーする力だ。

私はこのことを「頭がいい」と言っている。

つまりこのカテゴリーの壁こそが、
養老孟司の「バカの壁」そのものである。

私はアート活動をしているわけだが、
既存のアートから文脈的に考えれば、
私がアーティストと名乗っている事自体、
「おかしな話」なのである。

なぜならインターネットで文章を書く、
その様な一般的にはアートとみなされない事、
それをアートだと言ってるわけで、
まぁただの理解できない対象にすぎない、

もっというと、
私という存在すら見えていない、
つまりスコトーマの状態である。

その人にとってみれば、
印象派やキュビズムがアートで、
抽象画やポップアートがアートである。

しかしそれはアートのクラシックなのであって、
アートそのものは、
カテゴリーをブレイクスルーしていく事こそ、
アートなのだと考えている。

つまりアートとは、
「アートではあってはならない」のである。

同時代的にアートが評価される、
これこそが私から言わせれば異常である。

ある意味、
「アートのまがい物」である。

すなわち、
現代美術、現代アートの時代というのは、
その「アートのまがい物」すらも、
アートに取り込もうとする運動であり、
現在はアートのまがい物の時代なのである。

一人のアーティストとして、
この現状を考えるに、
現在アーティストは、
色々な意味で「消費の対象」でしか、
ないのである。

この様な状態は、
アーティストが馬鹿でアホだから、
資本や経済に完全に取り込まれた末である。

結局アートも「資本」に媚びてしまったのだ。

これからのアーティストは、
もっと知性的でなければならない、
つまり「頭のいい」人間でなければ、
カテゴリを逸脱する事が不可能な時代なのだ。
それは既存のカテゴリに埋没する事が、
馬鹿でアホであると気づく事が必要である。

例えば「お金」一つとってみても、
近いうちに「お金」の概念は変わる。
つまり「価値」という概念が変わる。
すれば「社会」という概念が変わる。

「お金」というカテゴリーをとっても、
私たちはそのカテゴリに埋没し、
決して「お金」の「価値」を疑わない。

だからこそ「現代美術」「現代アート」は成立する。

こんな簡単なレトリックさえ、
実際作品を創っているアーティストは、
理解していないのである。

つまり私たちアーティストは、
まず世界を知らなければならないし、
その世界に無数に存在する、
あらゆるカテゴリーを知らなければならない。
そしてそのカテゴリーの壁は、
常に更新されていて、
破壊と再生を繰り返し、
ある種のアポトーシスとして、
「動的平衡」として、
私たちは刹那を体験しているのである。

 

つまりアーティストは、
科学、経済、宗教、政治、哲学、経営等。
あらゆる幅広い知識を有しなければならないし、
自らそのカテゴリーを体験しなければならない。

その上でやっとブレイクスルーを起こせるのである。

なぜなら現在の世界は、
非常に複雑で、
非常に抽象度の低い世界なのであるから、
クラシックが産まれた時代、
つまり抽象度が高かった時代とは、
私たちアーティストのスタンスも、
全く変わっているのである。

特に現在においても、
芸大美大でクラシックな芸術や美術を学ぶ、
それはただ単なる時間の無駄なのである。

若い人にはそれに早く気づいて欲しいし、
私はその様な知性を育む場として、
狭山美学校という私塾を創った。

私のこの言説を読解できるレベルの知性は、
最低限必要とするが、
志高い若人を歓迎する。

 

 

狭山美学校
https://www.machromatic.biz

 

 

 

美学者母

 

 

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