現在朝の4時。
遊びすぎて一昨日から、
24時間以上ベットで倒れておりましたwww
何でもとことんやらないと気がすまない、
そんな性格の私です。
そんなこんなで、
今思いつく事を書く事にしますが、
私の活動の特徴として、
「批判」というものがあります。
私はなぜ他人を批判し、
なぜそれを言説しているのでしょうか。
他人のことなんてほっといて、
自分のやるべき事をやれよって、
しかし私のやるべきことの一つが、
「批判」なのです。
「批判」とは何でしょうか?
「批判」とはお節介や悪口とは、
次元の違うものです。
「批判」とは一般的にネガティブな印象、
しかし「批判」とは、
非常にポジティブなものです。
先に世界の本質を考えてみると、
「それ」だけで「それ」が、
「存在」することができません。
つまり「批判」とは、
「それ」を存在させるための、
「それ以外」なんですね。
そんな前置きから、
私の「批判」の本質について語ります。
私は昔からより身近な人を批判してきました。
身近な人間ほどより強く批判して、
より厳しい眼差しを持って接してきました。
それを毛嫌いして、
私から離れていく人間がほとんどですが、
私はそんなことは気にせず批判します。
そもそも批判すること自体に、
膨大なエネルギーを必要とします。
そもそもどうでもいい人間を批判するでしょうか?
答えは「NO」です。
少なくとも私は、
どうでもよくないから批判するのです。
そして私にとってどうでもよくない人間は、
私の身近な人間です。
私にとってどうでもいい人間に、
わざわざ私の時間やエネルギーを、
そもそも使おうと思いません。
私が批判するということは、
それが自分にとって興味がある、
もっというとそこに「愛」がある。
私は「批判」というものの根底には、
絶対的に「愛」がなければならない、
そういったポリシーを持ち、
そのポリシーは揺るぎないものです。
私は「美学者母」と名乗り、
「愛」を真理として活動しています。
「愛」とは何でしょうか?
「甘え」でしょうか?
「妥協」でしょうか?
私が展開している「批判」そのものが、
「愛」そのものなのかもしれません。
美学者母