No.281

宗教が信じれない時代に、
宗教ではない宗教っぽいものに熱狂する人々
(全ての価値はコモディティ化される)

text : mama(美学者母)
2018年9月3日(月曜日
)執筆

 

資本主義の原理って、
お金持ちを観て、
あんなお金持ちになりたいっ!!!
っていうリビドーが、
結局のところ資本主義のガソリンなのです。

つまり、
みんながみんな、
お金持ちを羨ましく思わなくなった時点で、
「資本主義は崩壊する」のです。

 

これを体現しているのが、
「銀行」であって、
「銀行」というのは、
大企業で、
資本も沢山あって、
働いている人も超一流大学卒業生ばかりで、
という「信用」自体が「商品」なのですが、
これが、
ある時みんな一斉に「信用」しなくなれば、
「銀行」は潰れるわけです。

 

つまりこの様な事から何が言いたいのか、
というと、
「資本主義」というのは、
「お金」に対する「信仰」から、
成り立っているという事です。

つまりその「信仰対象」を、
全く疑わない、
お金を持っている人が羨ましい、
銀行は信用できる。

この様な盲目的信仰こそが、
私たちの世界、
あるいは社会の原理なのです。

私たちは近代に入り、
「宗教」を「信仰」しなくなり、
「資本」に「信仰」をシフトしたのです。

「宗教」を信仰しなくなったのは、
「知性のコモディティ化」によるものです。

今その波が「資本」にも訪れ、
まさに、
「お金のコモディティ化」が進んでいます。

例えば、
「宗教」が圧倒的な力を持っていた時に、
誰が「誰も」宗教を信じなくなると考えたでしょうか。

つまり、
「資本」にもその様な事が必ず起こります。
かといって「お金」がなくなるわけではなく、
現在でも「宗教」はなくなっていないのと同じで、
意味や形を変えて残るでしょうが、
それは社会的に重要なことではなくなるわけです。

この様に、
この世界には「絶対」というものはありません。

つまり、
「絶対治る」、
「絶対儲かる」、
「絶対成功する」、

この様なものはそもそも存在しません。

つまりどんなものでも、
あなたが疑いを持たなくなった時点で、
それは「信仰」となるわけです。

ではなぜ「信仰」は起こるのか、
というと、
それは人間の弱さでもあり、
人間の本質でもあります。

 

そして人間は何かしらの「信仰」によって、
支えられ生きているわけです。

私は「信仰」が全て悪いとは思いません、
むしろ「己の信仰」を自分自身で認知し、
それを「反省」できる。

その様な振る舞いができるのであれば、
「信仰」とは人間にとって、
よりよく生きていくためのエレメントとなります。

 

しかし世間を見渡してみますと、
「盲目的信仰」に「熱狂」している、
その様な方々を散見します。

つまり「宗教」ではない、
「宗教っぽい」もので、
自分では気づけないんですね。

それってあからさまに、
「新興宗教」「セミナー」「MLM」、
そんなのでなくても、
「会社」「趣味」「政治」「アート」「友達」「家族」、
そんな普通の人々の生活に、
実はたくさんの「信仰」があります。

もっと簡単に言えば、
「身近な強い思い込み」、
これってなかなか抜け出せないわけです。

じゃどうやってそういった、
「信仰」から抜け出せばいいのか、
それは簡単なことで、
そこから「離脱」することです。

しかし、
それはその人にとって、
「信仰」の対象ですから、
そこから「離脱」することは、
「死」と同じ様な恐怖を感じるわけで、
なかなか難しいのです。

 

それはオウム信者が、
麻原に洗脳されていたのと同じで、
自分の思い込みから、
自分を引き離す、
その様な行為は、
「脱洗脳」と同じです。

あなた自身、
またはあなたの周りで、
何か最近様子がおかしい人はいませんか?

そんな人に一番必要な事は、
その人自身が自ら気づく事です。

そんな事で悩んでいる方がいらっしゃれば、

ご相談ください。

 

 

 

 

美学者母

 

 

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