資本主義の原理って、
お金持ちを観て、
あんなお金持ちになりたいっ!!!
っていうリビドーが、
結局のところ資本主義のガソリンなのです。
つまり、
みんながみんな、
お金持ちを羨ましく思わなくなった時点で、
「資本主義は崩壊する」のです。
これを体現しているのが、
「銀行」であって、
「銀行」というのは、
大企業で、
資本も沢山あって、
働いている人も超一流大学卒業生ばかりで、
という「信用」自体が「商品」なのですが、
これが、
ある時みんな一斉に「信用」しなくなれば、
「銀行」は潰れるわけです。
つまりこの様な事から何が言いたいのか、
というと、
「資本主義」というのは、
「お金」に対する「信仰」から、
成り立っているという事です。
つまりその「信仰対象」を、
全く疑わない、
お金を持っている人が羨ましい、
銀行は信用できる。
この様な盲目的信仰こそが、
私たちの世界、
あるいは社会の原理なのです。
私たちは近代に入り、
「宗教」を「信仰」しなくなり、
「資本」に「信仰」をシフトしたのです。
「宗教」を信仰しなくなったのは、
「知性のコモディティ化」によるものです。
今その波が「資本」にも訪れ、
まさに、
「お金のコモディティ化」が進んでいます。
例えば、
「宗教」が圧倒的な力を持っていた時に、
誰が「誰も」宗教を信じなくなると考えたでしょうか。
つまり、
「資本」にもその様な事が必ず起こります。
かといって「お金」がなくなるわけではなく、
現在でも「宗教」はなくなっていないのと同じで、
意味や形を変えて残るでしょうが、
それは社会的に重要なことではなくなるわけです。
この様に、
この世界には「絶対」というものはありません。
つまり、
「絶対治る」、
「絶対儲かる」、
「絶対成功する」、
この様なものはそもそも存在しません。
つまりどんなものでも、
あなたが疑いを持たなくなった時点で、
それは「信仰」となるわけです。
ではなぜ「信仰」は起こるのか、
というと、
それは人間の弱さでもあり、
人間の本質でもあります。
そして人間は何かしらの「信仰」によって、
支えられ生きているわけです。
私は「信仰」が全て悪いとは思いません、
むしろ「己の信仰」を自分自身で認知し、
それを「反省」できる。
その様な振る舞いができるのであれば、
「信仰」とは人間にとって、
よりよく生きていくためのエレメントとなります。
しかし世間を見渡してみますと、
「盲目的信仰」に「熱狂」している、
その様な方々を散見します。
つまり「宗教」ではない、
「宗教っぽい」もので、
自分では気づけないんですね。
それってあからさまに、
「新興宗教」「セミナー」「MLM」、
そんなのでなくても、
「会社」「趣味」「政治」「アート」「友達」「家族」、
そんな普通の人々の生活に、
実はたくさんの「信仰」があります。
もっと簡単に言えば、
「身近な強い思い込み」、
これってなかなか抜け出せないわけです。
じゃどうやってそういった、
「信仰」から抜け出せばいいのか、
それは簡単なことで、
そこから「離脱」することです。
しかし、
それはその人にとって、
「信仰」の対象ですから、
そこから「離脱」することは、
「死」と同じ様な恐怖を感じるわけで、
なかなか難しいのです。
それはオウム信者が、
麻原に洗脳されていたのと同じで、
自分の思い込みから、
自分を引き離す、
その様な行為は、
「脱洗脳」と同じです。
あなた自身、
またはあなたの周りで、
何か最近様子がおかしい人はいませんか?
そんな人に一番必要な事は、
その人自身が自ら気づく事です。
そんな事で悩んでいる方がいらっしゃれば、
ご相談ください。
美学者母