No.282

狭山美学校というコンフォートゾーン
(インフラとしての狭山美学校)

text : mama(美学者母)
2018年9月6日(木曜日
)執筆

 

2018年の台風21号の被害も大きかったのですが、
直後に北海道の地震と日本の自然災害の多さを改めて感じ、
また皆様の不安の解消や、
災害復旧がいち早くできる様願っています。

幸いに私たちは、
それほどの被害はなかったのですが、
近辺でも屋根が飛んだりと、
自然災害の爪痕を残しています。

また大阪では、
現在でも停電が続いている所もある様です。

ここまで直近の災害の話なのですが、
この様な災害も、
私たちや、
私たちが運営している狭山美学校と、
かなり関係している話でもあります。

 

私たちは自分たちの作品の延長として、
「狭山美学校」を立ち上げました。

そしてプラットフォームとしての側面も、
ある程度意識して計画しました。

それはコミュニケーションのプラットフォームとして、
価値観の違う人々が寄り合える場としての、
場所の設定でした。

しかしその様なある種私たちの想定は、
いい意味で現在裏切られているのです。

 

狭山美学校をオープンして2年以上経ちますが、
その間にも大きな災害が何度もありましたが、
そのたびに避難場所として、
狭山美学校に宿泊をされる被災者の方がいます。

今回の台風でも、
大規模停電で避難されてこられました。

この周辺にはほとんど宿泊施設が無いために、
ようやく狭山美学校を見つけて、
安堵の表情を浮かべてこられる、
そんな被災者の方々の顔を見ていると、
改めて私たちの存在意義を、
強く感じるのです。

初めはある種、
自己表現の形としてスタートした、
「狭山美学校」なのですが、
最近は自然災害だけでなく、
色々な事情で、
「狭山美学校」をご利用いただいています。

 

例えばこの様な感覚は初めてなのです。

 

私はサラリーマンもしていましたし、
アーティスト、批評、評論、
色々なことをしてきました。

それはある側面においては、
全て社会貢献しているわけですが、
その様なものとは全く違う、
もっと人間の根本的な魂に、
何か感じたことのない感覚を抱きます。

ある意味独我的に創った「狭山美学校」が、
この地域の、
いや日本のインフラとなっている、
その様な意味の反転が、
私の心を大きく揺さぶっているのです。

人間の世界とは不思議なもので、
自分の為にと思ったことが、
他人の大きな助けになったり、
他人の為にと思ったことが、
他人の大きな迷惑になったりします。

基本的に私の人生の哲学は、
「自分の為」に「最善を尽くす」ことです。

 

私は強く思うのです。

 

自分の為にできないものが、
他人に何ができるのかと。

私は確信していますし、
この様に実践しています。

偽善など必要ないのです、
余すことなく全てのエネルギーを、
自分の為に使い尽くすのです。

 

しかしそれは、
時に他人の大きな助けになっているのです。

自分本位に他人の為にと思ったことは、
大抵本当の意味で、
他人の為になっていない事がほとんどです。

自分の為に真剣に懸命に生きていける人こそが、

他人の大きな助けになるのです。

 

 

 

 

美学者母

 

 

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