みなさんどもっ!!!
美学者母です。
先日歯がどうにも痛くて、
歯医者で歯を一本抜いてきました。
そんな歯痛の中ですが、
最近中国発のアプリケーションと出会う事が、
非常に多いですね、
私も最近中国発のアプリケーション、
「荒野行動」で遊んでいるのですが、
非常に楽しいゲームです。
私は1978年生まれで、
初代ファミリーコンピューターの世代ですが、
まさか中国のゲームアプリケーションで、
楽しく遊ぶ時代が来るなんて、
想像もしていませんでしたね。
そして今回の言説なのですが、
それも中国発のアプリーケーションで、
短編動画共有サービス「TikTok」に関してです。
これもまさに最近アプリケーションを入れて、
遊んでいるのですが、
非常に簡単に楽しめて、
とてもいいアプリケーションだと感じました。
最近は、
Youtube然り、
instagram然り、
そしてTikTok然り、
個人ユーザーがクリエイティブな作品を制作し、
世界中へ発信するという行為が、
本当に当たり前の時代になっています。
特にTikTokなどでは、
いかに簡単に高品質な短編動画を作れるかという、
アプリケーションデザインがされています。
ユーザーインターフェイスはとても簡単で、
それ以上に出来た動画のクオリティは高く、
非常に面白い動画が制作できます。
これはまさに、
芸術構造のフォーマット化なのです。
芸術構造のフォーマット化の先駆者として、
私はマルセルデュシャンを尊敬しています。
マルセルデュシャンは、
レディメイドというフォーマットで、
誰もが芸術構造をしっかりと持った、
しかも簡単な方法で作れるスタイルや、
フォーマットをあみだしました。
TikTokの芸術構造も、
非常に簡単ではあるのですが、
古典的、基本的な、
芸術構造を有し、
しかも簡単な方法で作れ、
誰しもが芸術構造を持った作品を作れます。
TikTokの芸術構造を簡単に解説すれば、
基本的に、
映像の尺は短く定義され、
音楽に合わせて、
口パクやダンス、寸劇など、
身体運動を同期させます。
つまり、
本来的音楽の意味を無効化する、
個々の動画とは文脈的断絶が存在する、
そのまた逆も然りであり、
芸術構造の基本である、
意味の無意味、
無意味の意味の二重性を、
簡単なフォーマットとして提供しています。
私はこの事を考えていると、
「カラオケ」というのも、
日本独特の「芸術の民主化」である、
その様に感じるわけです。
またアートシーンを観てみても、
非常に私が尊敬する、
芸術家の「彦坂尚嘉」さんの、
「切断芸術運動」は、
こういった世の中の流れを、
如実に表現しており、
またそれを純粋芸術として、
具現化していると考えています。
彦坂尚嘉さんの切断芸術運動は、
例えば写真を切断し、
「右と左」「下と上」を入れ替える、
という非常に簡単なフォーマットであり、
スタイルであるのですが、
これも古典的、
基本的な芸術構造を持っており、
それが誰でも簡単に具現化できる、
フォーマットとして提示されています。
この辺の、
現代における「芸術の民主化」、
そして誰もが「クリエイターになる時代」、
というものを凝縮し、
純粋芸術として提示している凄さというのは、
本当にリスペクトするのです。
そしてこの様な現代の芸術の状況から、
私たちはどの様な存在であるべきなのか、
特に、
「アート」を「専門」とする人間は。
それは、
「アーティスト」とは、
発明された「フォーマット」、
または「スタイル」の中で、
「表現を模索」する「表現者」ではないのです。
それはもう「民主化」されており、
世界中の誰もが、
例えば「TikTok」などを通じて、
「簡単に表現」できる時代なのです。
その中で「アーティスト」は、
「創造者」として、
その「フォーマット」や「スタイル」を、
「産み出す役割」を担うのです。
つまり現代において、
「個」としての「作品」を作るのは、
アーティストの役割ではありません。
それは「芸術の民主化」により、
誰もが簡単に世界中へ届ける時代なのです。
では「アート」の専門家は、
つまり「個」としての「作品」を作るのではなく、
それが生成されるべき「環境」を作る、
それは「アーキテクチャ」です。
これらの現象はあらゆる所で観られ、
テクノロジーやビジネスでも、
グーグルやアマゾン、フェイスブックなど、
世界を先導している存在は、
「アーキテクチャ」を提供している、
つまり「プラットフォーム企業」なのです。
これらは「アート」でも同じであり、
「現代」の「アーティスト」は、
いかに「バズる」、
「フォーマット」や「スタイル」を、
産み出せるのかというのが、
「現代」の「アーティスト」の、
「やるべき事」なのです。
例えば純粋芸術では、
マルセルデュシャンは「インスタレーション」を、
「バズ」らせました。
村上隆は「マンガ」を、
「バズ」らせました。
つまり「現代」の「アート」において、
「個」としての「作品」を作る事が、
「アーティスト」の「やるべき事」でない以上、
「個」の「作品」を作るための技巧は、
「全く必要無い」のです。
それ以上に、
「フォーマット」や「スタイル」を産み出す、
「知性」や「教養」、
「思考力」などが「必要」なのです。
つまり現代の日本の、
「芸術大学」「美術大学」では、
「まったく必要の無い教育」が行われています。
これからの時代、
本物のアーティストは、
「テクノロジー系」や「思想系」「教養系」からしか、
おそらく出てこないでしょう。
それは「アート」というものを、
「アート」を目指す人たちが、
「勘違いしている」という、
「絶望的な状態」が、
日本には存在しているからです。
まぁとりあえず、
みんな「TikTok」の動画でも、
作って遊びましょうwww
美学者母