No.295

中国発のアプリTikTokと、
芸術家の彦坂尚嘉さんの
展開する切断芸術運動の芸術構造の同義性。
(今まさに芸術の民主化が進行している)

text : mama(美学者母)
2018年11月9日(金曜日
)執筆

 

みなさんどもっ!!!
美学者母です。

先日歯がどうにも痛くて、
歯医者で歯を一本抜いてきました。

 

そんな歯痛の中ですが、
最近中国発のアプリケーションと出会う事が、
非常に多いですね、
私も最近中国発のアプリケーション、
「荒野行動」で遊んでいるのですが、
非常に楽しいゲームです。

私は1978年生まれで、
初代ファミリーコンピューターの世代ですが、
まさか中国のゲームアプリケーションで、
楽しく遊ぶ時代が来るなんて、
想像もしていませんでしたね。

 

そして今回の言説なのですが、
それも中国発のアプリーケーションで、
短編動画共有サービス「TikTok」に関してです。

これもまさに最近アプリケーションを入れて、
遊んでいるのですが、
非常に簡単に楽しめて、
とてもいいアプリケーションだと感じました。

 

最近は、
Youtube然り、
instagram然り、
そしてTikTok然り、
個人ユーザーがクリエイティブな作品を制作し、
世界中へ発信するという行為が、
本当に当たり前の時代になっています。

特にTikTokなどでは、
いかに簡単に高品質な短編動画を作れるかという、
アプリケーションデザインがされています。

ユーザーインターフェイスはとても簡単で、
それ以上に出来た動画のクオリティは高く、
非常に面白い動画が制作できます。

これはまさに、
芸術構造のフォーマット化なのです。

芸術構造のフォーマット化の先駆者として、
私はマルセルデュシャンを尊敬しています。

マルセルデュシャンは、
レディメイドというフォーマットで、
誰もが芸術構造をしっかりと持った、
しかも簡単な方法で作れるスタイルや、
フォーマットをあみだしました。

 

TikTokの芸術構造も、
非常に簡単ではあるのですが、
古典的、基本的な、 芸術構造を有し、
しかも簡単な方法で作れ、
誰しもが芸術構造を持った作品を作れます。

 

TikTokの芸術構造を簡単に解説すれば、
基本的に、
映像の尺は短く定義され、
音楽に合わせて、
口パクやダンス、寸劇など、
身体運動を同期させます。

つまり、
本来的音楽の意味を無効化する、
個々の動画とは文脈的断絶が存在する、
そのまた逆も然りであり、
芸術構造の基本である、
意味の無意味、
無意味の意味の二重性を、
簡単なフォーマットとして提供しています。

私はこの事を考えていると、
「カラオケ」というのも、
日本独特の「芸術の民主化」である、
その様に感じるわけです。

 

またアートシーンを観てみても、
非常に私が尊敬する、
芸術家の「彦坂尚嘉」さんの、
「切断芸術運動」は、
こういった世の中の流れを、
如実に表現しており、
またそれを純粋芸術として、
具現化していると考えています。

彦坂尚嘉さんの切断芸術運動は、
例えば写真を切断し、
「右と左」「下と上」を入れ替える、
という非常に簡単なフォーマットであり、
スタイルであるのですが、
これも古典的、 基本的な芸術構造を持っており、
それが誰でも簡単に具現化できる、
フォーマットとして提示されています。

 

この辺の、
現代における「芸術の民主化」、
そして誰もが「クリエイターになる時代」、
というものを凝縮し、
純粋芸術として提示している凄さというのは、
本当にリスペクトするのです。

 

そしてこの様な現代の芸術の状況から、
私たちはどの様な存在であるべきなのか、
特に、
「アート」を「専門」とする人間は。

それは、
「アーティスト」とは、
発明された「フォーマット」、
または「スタイル」の中で、
「表現を模索」する「表現者」ではないのです。

それはもう「民主化」されており、
世界中の誰もが、
例えば「TikTok」などを通じて、
「簡単に表現」できる時代なのです。

その中で「アーティスト」は、
「創造者」として、
その「フォーマット」や「スタイル」を、
「産み出す役割」を担うのです。

つまり現代において、
「個」としての「作品」を作るのは、
アーティストの役割ではありません。

それは「芸術の民主化」により、
誰もが簡単に世界中へ届ける時代なのです。

 

では「アート」の専門家は、
つまり「個」としての「作品」を作るのではなく、
それが生成されるべき「環境」を作る、
それは「アーキテクチャ」です。

これらの現象はあらゆる所で観られ、
テクノロジーやビジネスでも、
グーグルやアマゾン、フェイスブックなど、
世界を先導している存在は、
「アーキテクチャ」を提供している、
つまり「プラットフォーム企業」なのです。

 

これらは「アート」でも同じであり、
「現代」の「アーティスト」は、
いかに「バズる」、
「フォーマット」や「スタイル」を、
産み出せるのかというのが、
「現代」の「アーティスト」の、
「やるべき事」なのです。

 

例えば純粋芸術では、
マルセルデュシャンは「インスタレーション」を、
「バズ」らせました。

村上隆は「マンガ」を、
「バズ」らせました。

 

つまり「現代」の「アート」において、
「個」としての「作品」を作る事が、
「アーティスト」の「やるべき事」でない以上、
「個」の「作品」を作るための技巧は、
「全く必要無い」のです。

それ以上に、
「フォーマット」や「スタイル」を産み出す、
「知性」や「教養」、
「思考力」などが「必要」なのです。

 

つまり現代の日本の、
「芸術大学」「美術大学」では、
「まったく必要の無い教育」が行われています。

これからの時代、
本物のアーティストは、
「テクノロジー系」や「思想系」「教養系」からしか、
おそらく出てこないでしょう。

 

それは「アート」というものを、
「アート」を目指す人たちが、
「勘違いしている」という、
「絶望的な状態」が、
日本には存在しているからです。

 

まぁとりあえず、
みんな「TikTok」の動画でも、

作って遊びましょうwww

 

 

 

 

 

美学者母

 

 

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