ここ数年メディアアート、
というものが取り沙汰されて久しいですが、
私は以前の言説でも述べているのですが、
現在メディアアートと言われている、
ほとんどの類はアートではないと考えています。
ここでいうアートではないというのは、
ファインアート、
つまり純粋芸術ではないという事です。
私は現在のメディアアートを、
テクノロジーの使い方見本市だと言っています。
そういう意味からも、
大阪芸術大学に新しくできた、
アートサイエンス学科は、
時代を追う事によってできた、
非常にエンタメ的な学科だと考え、
私はアートサイエンス学科を否定していますし、
ある意味芸術大学が芸術を冒涜しているものだと、
考えているわけです。
むしろ私たちの様な芸術活動をしている者は、
なぜアートがテクノロジーへと向かっているのか?
それを真剣に考えるべきなのです。
これは哲学や思想ともリンクする話であり、
芸術がその表層をなすものであることは、
歴史的にも自明であるのです。
つまり、
「なぜアートはテクノロジーへ向かうのか?」、
という問いを思考することで、
今私たちが生きる現代とは何なのか?
という私たちが渦中にいる時代を、
俯瞰しメタ認知することで、
次の時代へどうこの世界を繋げていくのか、
その様なヒントになると考えています。
現在私達は物に溢れ情報に溢れ、
インフラは整い、
医療は進歩し、
テクノロジーは発展し、
あらゆるものが事足りている時代です。
しかし日本を例にあげれば、
70年前の終戦の日本はどうだったでしょうか?
焼け野原に一人佇む人間は、
何を思うでしょうか?
当然その現状をいかに変化させるか、
どの様な世界を創っていくか、
どの様な社会を創っていくか、
様々な「ビジョン」を持ったでしょうし、
「大きなゴール」を創造したでしょう。
つまり現状というゲシュタルトの、
「外」に「ゴール」を「設定」していたはずです。
だからこそ、
今この様な恵まれた「現代」が訪れているのです。
私達のこの「現代」は、
少なくとも「70年前」に描いた、
「ビジョン」や「ゴール」が形になった、
その様に考える事ができます。
しかし「現代」に生きる私たちはどうでしょうか?
あらゆるものに恵まれた私たちは、
「現代」の「現状」を「変更」しようとしているでしょうか?
少なくとも私が観えている「現代」は、
その様な「状態」には無いのです。
つまり、
現状というゲシュタルトの、
「外」に「ゴール」を「設定」することを、
現代の人間は諦めているのです。
なぜならば、
これだけ物に溢れ情報に溢れている現状で、
もはや何を「ゴール」に設定していいのか、
解らなくなっているのです。
ですから「現代の人々」は、
現状の「内側」での「変更」を試みるのです。
それは私たちの日常の小さな変化や更新で、
私たちが日常でわかりやすく体感するもの、
例えばスマートフォンやアイパッド、
ゲームや電気自動車、
つまり「テクノロジー」です。
テクノロジーは非常にわかりやすい、
より簡単に、短時間で、便利に、
私たちに変化を与えてくれます。
そしてインターネットは、
より大きく広い世界と繋がる事を可能にします。
しかしこの様なテクノロジーは、
実は「現状」という「外」ではなく、
どんどんと「内」に加速度的に閉じ込める、
その様なものだと私は考えています。
それが明らかなのが、
「外」に「ゴール」を「設定」する事を諦め、
スマートフォンに没頭し、
手元に世界がある、
つまり現代は、
現実を超えた現実を生きる、
「超現実世界」なのだと私は実感しています。
つまり現代の人々は、
目に見える形で簡単に自分にとっての、
メリットが欲しいのです。
「楽しい」体験、「気持ちい」体験、
つまり「快」を「超現実的」に求めるのです。
しかしこれらの現状は、
「現代」にとっては仕方のない事なのです。
なぜなら戦後の様に、
焼け野原を前にした状況と、
現代の恵まれた状況では、
あまりにも条件が違いすぎます。
そして現代の人々が、
「現状の内側」へと、
エネルギーが向かうのも、
ある種自然な事なのかもしれません、
しかし私はこんな時代だからこそ、
「諦めたくない」のです。
私はこんな、
「ビジョン」も「ゴール」も持てない時代だからこそ、
思想や哲学、芸術や美術の力が必要だと確信しています。
だからこそ、
思想家や哲学者、芸術家や美術家は、
もっと大きなビジョンを持ち、
もっと大きなゴールを設定し、
もっと大きな夢を語らなければならない、
そう確信しているのです。
しかしそんな時代に、
「テクノロジー」なんて、
分かりやすくて安易なもので、
いっときの「快」を与える事が、
純粋芸術であるはずがないのです。
現代あらゆるものが、
「エンターテイメント化」しています。
つまりどの世界の人間も、
すぐに答えが欲しいのです、
つまり皆んな「金」が欲しいのです。
本当にその時代に必要だったものは、
その時代には見えてこないのです。
私はこの時代に、
途方も無い大きな夢を持ち、
現状の外に目標を設定し、
本気でこの世界を変えてやる、
その様に少なくとも私は、
外側を観て生きていきたいし、
一人でもその様なことに、
気づいて欲しいと願っています。
美学者母