No.300

なぜアートはテクノロジーへ向かうのか?
(エンタメ型アートの時代に生きている事の意味)

text : mama(美学者母)
2018年12月4日(火曜日
)執筆

 

ここ数年メディアアート、
というものが取り沙汰されて久しいですが、
私は以前の言説でも述べているのですが、
現在メディアアートと言われている、
ほとんどの類はアートではないと考えています。

ここでいうアートではないというのは、
ファインアート、
つまり純粋芸術ではないという事です。

私は現在のメディアアートを、
テクノロジーの使い方見本市だと言っています。

そういう意味からも、
大阪芸術大学に新しくできた、
アートサイエンス学科は、
時代を追う事によってできた、
非常にエンタメ的な学科だと考え、
私はアートサイエンス学科を否定していますし、
ある意味芸術大学が芸術を冒涜しているものだと、
考えているわけです。

 

むしろ私たちの様な芸術活動をしている者は、
なぜアートがテクノロジーへと向かっているのか?
それを真剣に考えるべきなのです。

これは哲学や思想ともリンクする話であり、
芸術がその表層をなすものであることは、
歴史的にも自明であるのです。

つまり、
「なぜアートはテクノロジーへ向かうのか?」、
という問いを思考することで、
今私たちが生きる現代とは何なのか?
という私たちが渦中にいる時代を、
俯瞰しメタ認知することで、
次の時代へどうこの世界を繋げていくのか、
その様なヒントになると考えています。

 

現在私達は物に溢れ情報に溢れ、
インフラは整い、
医療は進歩し、
テクノロジーは発展し、
あらゆるものが事足りている時代です。

 

しかし日本を例にあげれば、
70年前の終戦の日本はどうだったでしょうか?
焼け野原に一人佇む人間は、
何を思うでしょうか?
当然その現状をいかに変化させるか、
どの様な世界を創っていくか、
どの様な社会を創っていくか、
様々な「ビジョン」を持ったでしょうし、
「大きなゴール」を創造したでしょう。

つまり現状というゲシュタルトの、
「外」に「ゴール」を「設定」していたはずです。

だからこそ、
今この様な恵まれた「現代」が訪れているのです。

私達のこの「現代」は、
少なくとも「70年前」に描いた、
「ビジョン」や「ゴール」が形になった、
その様に考える事ができます。

しかし「現代」に生きる私たちはどうでしょうか?
あらゆるものに恵まれた私たちは、
「現代」の「現状」を「変更」しようとしているでしょうか?
少なくとも私が観えている「現代」は、
その様な「状態」には無いのです。

 

つまり、
現状というゲシュタルトの、
「外」に「ゴール」を「設定」することを、
現代の人間は諦めているのです。

なぜならば、
これだけ物に溢れ情報に溢れている現状で、
もはや何を「ゴール」に設定していいのか、
解らなくなっているのです。

ですから「現代の人々」は、
現状の「内側」での「変更」を試みるのです。

それは私たちの日常の小さな変化や更新で、
私たちが日常でわかりやすく体感するもの、
例えばスマートフォンやアイパッド、
ゲームや電気自動車、
つまり「テクノロジー」です。

 

テクノロジーは非常にわかりやすい、
より簡単に、短時間で、便利に、
私たちに変化を与えてくれます。

そしてインターネットは、
より大きく広い世界と繋がる事を可能にします。

 

しかしこの様なテクノロジーは、
実は「現状」という「外」ではなく、
どんどんと「内」に加速度的に閉じ込める、
その様なものだと私は考えています。

それが明らかなのが、
「外」に「ゴール」を「設定」する事を諦め、
スマートフォンに没頭し、
手元に世界がある、
つまり現代は、
現実を超えた現実を生きる、
「超現実世界」なのだと私は実感しています。

 

つまり現代の人々は、
目に見える形で簡単に自分にとっての、
メリットが欲しいのです。

「楽しい」体験、「気持ちい」体験、
つまり「快」を「超現実的」に求めるのです。

しかしこれらの現状は、
「現代」にとっては仕方のない事なのです。

 

なぜなら戦後の様に、
焼け野原を前にした状況と、
現代の恵まれた状況では、
あまりにも条件が違いすぎます。

そして現代の人々が、
「現状の内側」へと、
エネルギーが向かうのも、
ある種自然な事なのかもしれません、
しかし私はこんな時代だからこそ、
「諦めたくない」のです。

私はこんな、
「ビジョン」も「ゴール」も持てない時代だからこそ、
思想や哲学、芸術や美術の力が必要だと確信しています。

だからこそ、
思想家や哲学者、芸術家や美術家は、
もっと大きなビジョンを持ち、
もっと大きなゴールを設定し、
もっと大きな夢を語らなければならない、
そう確信しているのです。

 

しかしそんな時代に、
「テクノロジー」なんて、
分かりやすくて安易なもので、
いっときの「快」を与える事が、
純粋芸術であるはずがないのです。

 

現代あらゆるものが、
「エンターテイメント化」しています。

つまりどの世界の人間も、
すぐに答えが欲しいのです、
つまり皆んな「金」が欲しいのです。

本当にその時代に必要だったものは、
その時代には見えてこないのです。

私はこの時代に、
途方も無い大きな夢を持ち、
現状の外に目標を設定し、
本気でこの世界を変えてやる、
その様に少なくとも私は、
外側を観て生きていきたいし、
一人でもその様なことに、
気づいて欲しいと願っています。

 

 

 

 

美学者母

 

 

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