研究

力・評価・証明・価値

Force, Evaluation, Proof, and Value

価値が評価・証明・制度・信頼・資本・権力の関係から生成される条件を研究する領域

概要

力・評価・証明・価値は、価値を対象内部に固定された属性としてではなく、評価、証明、制度、信用、信頼、交換、資本、履歴、権力などの関係から生成されるものとして研究する領域である。とりわけ、個別具体的な現実を一般的な尺度や概念へ変換する一般抽象化力と、抽象化された価値を再び身体・生活・場所・作品などの具体的現実へ戻す個別具体化力の循環を重視する。

本文

力・評価・証明・価値は、生成学において、価値がどのように生成され、固定され、移動し、増幅され、現実へ作用するのかを研究する領域である。

ここで価値は、対象の内部に最初から存在する固定的な属性として捉えられない。

あるものが価値を持つためには、それを見る主体、評価する制度、比較する尺度、履歴、信用、信頼、希少性、交換可能性、文化的意味など、複数の関係が必要になる。

したがって価値とは、対象だけに属するものではない。

関係のなかで生成される。

このことは、芸術作品を考えると分かりやすい。

同じ物理的対象であっても、誰が制作したのか、どこに展示されるのか、どのような歴史を持つのか、どの制度によって評価されるのかによって価値は変化する。

作品の価値は、物体の内部だけでは説明できない。

市場、批評、美術館、作家名、来歴、鑑賞者、文化、社会などの関係が価値を生成する。

しかしこの研究は、価値がすべて相対的であると言うためのものではない。

重要なのは、どのような関係が、どのような力を持って価値を形成しているのかを明らかにすることである。

ここで「力」が重要になる。

生成学では、力を単なる物理的な作用としてだけでは考えない。

ある関係を特定の方向へ動かす傾向、ある価値を拡大し、ある価値を縮小する作用として研究する。

この研究における中心概念の一つが、一般抽象化力である。

一般抽象化力とは、個別具体的な出来事、経験、対象を、比較可能な尺度、概念、数値、価格、評価、制度へ変換する力である。

たとえば、ある作品を価格へ変換する。

ある人の能力を点数へ変換する。

生活経験を統計へ変換する。

個別の行為を規則へ変換する。

この操作によって、異なるものを比較し、共有し、制度化することが可能になる。

一般抽象化は必要である。

科学、法律、経済、教育、行政、文化制度などは、一般抽象化なしには成立しにくい。

しかし一般抽象化には、個別具体的な差異を切り落とす作用もある。

ある人の人生を一つの点数へ変換すると、その人の身体、履歴、環境、経験の多くは失われる。

作品を価格だけで見ると、作品と鑑賞者の関係、時間、場所、記憶などは見えにくくなる。

このため、生成学では一般抽象化力と同時に、個別具体化力を研究する。

個別具体化力とは、一般化された概念、価値、制度、尺度を、再び個別具体的な身体、場所、生活、経験へ戻す力である。

たとえば、制度としての「教育」を一人の生徒の具体的な経験へ戻す。

経済的価値を、その価値がどのような生活や身体を支えているのかへ戻す。

美術史的評価を、実際に作品を見るという身体的な経験へ戻す。

一般抽象化力と個別具体化力は、互いに排他的ではない。

両者は循環する必要がある。

個別具体的な経験を一般化することで知が共有される。

共有された知を再び個別具体的な現実へ戻すことで、その知が実際に機能する。

この循環が失われると、抽象化された価値が現実から離れて自己増殖する。

この構造は資本の問題にもつながる。

貨幣は、異なる物や労働を交換可能にする強力な一般抽象化装置である。

円やドルは、それぞれ異なる商品や労働や時間を一つの尺度へ変換する。

この抽象化によって複雑な交換が可能になる。

しかし貨幣が具体的な生活や生産との接続を失い、貨幣そのものの増殖が目的化すると、価値は現実から離れた派生空間へ移行する。

デリバティブは、この構造を極端な形で示す。

基礎となる資産から派生した価値が、独自の市場を形成し、その市場が基礎となる現実へ逆向きに作用する。

この構造は言語デリバティブ論とも一致する。

意味も価値も、基礎となる現実から派生しながら、派生したものが現実へ作用する。

ここで問題になるのがレバレッジである。

小さな変化が、大きな価値変動を生む場合がある。

一つの評価、一つの格付け、一つのニュース、一つの発言によって、市場価値や社会的評価が大きく変動することがある。

このとき、評価は単なる観察ではない。

現実を変化させる力を持つ。

評価は、価値を発見するだけではない。

価値を生成する。

この点は証明にも当てはまる。

証明は、ある命題が正しいことを示す行為として理解される。

しかし社会的な現実においては、何が証明として認められるか自体が制度によって決まる場合がある。

学術論文では査読が証明力を持つ。

法律では証拠と手続きが必要になる。

市場では監査、格付け、信用情報が価値判断へ影響する。

芸術では美術館、批評、賞、コレクションなどが作品の価値を証明する装置となる場合がある。

したがって証明は、単に真理の問題だけではない。

誰が証明する権限を持つのかという制度的問題を含む。

このとき、証明と権力は接続する。

ある制度が強い証明力を持つほど、その制度は現実を定義する力を持つ。

何が正しいか。

何が価値あるか。

何が芸術か。

何が専門知か。

その判断が特定の制度へ集中すると、権力勾配が生じる。

生成学では、この権力勾配を重要な研究対象とする。

権力勾配とは、異なる位相のあいだで、ある一方の判断基準が他方よりも強い現実形成力を持つ状態である。

たとえば、数値化された評価が身体的な経験よりも強い権威を持つ。

学術的分類が生活者自身の感覚よりも強い現実定義力を持つ。

経済的価値が文化的価値よりも強くなる。

このような状態では、異なる位相が対等に共存在することが難しくなる。

強い位相が弱い位相を自分の尺度へ変換する。

これが一般抽象化力の過剰である。

この問題は、科学主義的な知的位相ロックとも関係する。

科学的な方法は極めて強力である。

しかし、科学的に測定できるものだけが現実であると無自覚に考えると、測定できない感覚、関係、文化、価値が現実から排除される。

問題は科学そのものではない。

一つの位相が、自らの尺度を他のすべての位相へ適用することにある。

同じ構造は、経済、政治、芸術、教育、人工知能にも現れる。

生成学は、強い位相を弱めることだけを目的としない。

異なる位相の力関係を可視化し、それぞれがどのような条件で価値を生成しているのかを研究する。

信用と信頼の違いも、価値生成を考えるうえで重要である。

信用は、過去の履歴、数値、実績、制度的保証によって成立することが多い。

信用は一般抽象化しやすい。

スコア、格付け、記録、契約などに変換できる。

一方、信頼は完全には数値化できない。

相手が未来にどのような行為をするか完全に分からないにもかかわらず、関係を開く。

この意味で信頼は未来へ向かう生成的な行為である。

信用は過去から未来を推定する。

信頼は、まだ確定していない未来を引き受ける。

両者はどちらも必要である。

しかし信用だけに依存すると、他者は履歴とデータへ縮小される。

信頼だけでは制度的安定が不足する場合もある。

重要なのは両者の関係である。

この問題は共存在ともつながる。

共存在には、相手を完全に理解できないことを引き受ける必要がある。

他者は、自分の評価尺度へ完全には回収できない。

それでも関係を続ける。

ここに信頼がある。

価値の問題は、作品性とも深く関係する。

作品性とは、作品物体の内部に固定された属性ではない。

ある対象、行為、出来事が、自己と世界の関係を変化させるときに生じる。

そのため作品性は評価以前にも存在しうる。

制度から価値が与えられる前に、誰かが何かを強く感じ、関係が変わることがある。

そこには個別具体的な価値生成がある。

後にその価値が共有され、言語化され、制度化されると、一般抽象化が起こる。

作品が批評され、記録され、美術史へ組み込まれ、市場価格を持つ。

この過程によって作品の価値は共有可能になる。

しかし、制度化された評価だけが作品性そのものではない。

作品性は、制度以前の個別具体的な関係にも存在する。

したがって芸術における価値生成には、個別具体的な感覚と一般抽象的な評価の循環が必要である。

この循環が失われると、作品が評価のために制作されるようになる可能性がある。

市場価値を得るための作品。

賞を得るための作品。

SNSで反応を得るための作品。

制度によって認められるための作品。

このとき、評価が作品の後に来るのではなく、評価が制作条件を先取りする。

評価が未来の行為を変える。

これは評価のデリバティブ性である。

評価が現実を測るだけでなく、現実を作り始める。

教育にも同じ問題がある。

テストが学力を測るためのものだったとしても、やがてテストで高得点を取ることが教育目標になる場合がある。

測定装置が、測定対象そのものを変える。

この構造はインターフェイス存在論とも関係する。

評価システムは、人間と制度が接触するインターフェイスである。

どのような評価項目を設定するかによって、人間の行動が変化する。

したがって、評価設計は現実設計でもある。

人工知能の時代には、この問題がさらに重要になる。

AIは大量のデータから評価、分類、予測を行うことができる。

その結果が採用、融資、保険、教育、医療、推薦、情報表示などへ利用される場合、アルゴリズムの評価が現実の選択肢そのものを変える。

ここでも評価は単なる観察ではない。

生成条件である。

そのため、AIの精度だけでは不十分である。

何を価値として定義したのか。

どのデータを根拠にしたのか。

誰にとって有利な評価構造になっているのか。

どの位相が見えなくなっているのか。

こうした問題を研究する必要がある。

力の生成論では、差も重要である。

差がなければ力は生じない。

電位差、温度差、圧力差のように、物理的な力は差によって生じる。

社会的な力も同様に、価値、情報、権限、資本、知識などの差によって発生する。

差そのものが悪いわけではない。

差は生成の条件である。

問題は、その差が固定され、一方向の支配へ変化するときに生じる。

生成的な差は、新しい関係を生む。

固定化された差は、権力勾配となる。

したがって生成学では、差を消すことではなく、差が循環可能であるかを問う。

一般抽象化力と個別具体化力の循環も、この考え方に基づく。

一方向だけに力が流れると、構造は硬直する。

往復が可能であれば、差は生成力となる。

この構造は、知の生成にも当てはまる。

個別の経験から一般的な知を抽象化する。

その知を再び具体的な問題へ適用する。

適用した結果から新しい差が生まれ、知が更新される。

知は循環によって生成される。

価値も同様である。

個別の経験から価値が生まれる。

価値が共有され、制度化される。

制度化された価値が再び個別の生活へ作用する。

その結果、新しい評価が生まれる。

価値は固定物ではなく循環である。

資本も、円やドルという一般抽象的な尺度を通して価値を移動させる。

その尺度は強力な普遍性を持つ。

世界中の異なる対象を比較できる。

しかしその普遍性は、すべての具体的価値を完全には表現できない。

親しい人との時間、地域の記憶、身体的な経験、芸術との出会いなどは、価格だけでは回収できない。

したがって貨幣的普遍性は、一般抽象的普遍性の一形態である。

それに対して、個別具体的普遍性は、一つの具体的経験が他者にも開かれる可能性を持つ。

芸術は、この個別具体的普遍性を生成できる。

一つの作品は極めて個人的でありながら、他者に強く作用することがある。

その作用は、最初から一般的な尺度へ変換されている必要はない。

この意味で芸術は、一般抽象的な価値体系へ別の普遍性を提示する。

生成学における力・評価・証明・価値の研究は、価値判断を否定するためのものではない。

評価も証明も制度も必要である。

重要なのは、それらがどのような力を持ち、どのような現実を生成しているのかを自覚することである。

評価は中立ではない。

証明は中立ではない。

価格も中立ではない。

それらは関係を変化させる。

だからこそ、その力を研究する必要がある。

価値とは、最初から対象の内部に閉じ込められているものではない。

人間、他者、制度、歴史、身体、資本、言語、文化との関係のなかで生成される。

そして、一度生成された価値は、次の行為や関係を変化させる。

価値は結果であると同時に、次の生成条件でもある。

力とは、その循環を動かす差である。

評価とは、その差へ方向を与える行為である。

証明とは、その評価に一定の有効性を与える構造である。

価値とは、それらの関係から一時的に成立する状態である。

そして生成とは、その状態が固定されず、新しい関係によって更新され続けることである。

Keywords

力;評価;証明;価値;一般抽象化力;個別具体化力;信用;信頼;資本;制度;権力勾配;作品性;生成