人間以前性と自己以前性
Human Precedence and Self-Precedence
人間や自己が成立する以前から働いている関係・身体・感覚・環境・歴史と生成可能性を研究する領域
概要
人間以前性と自己以前性は、人間や自己を世界の絶対的な起点として置くのではなく、それらが成立する以前から働いている関係、身体、感覚、環境、他者、言語、歴史、文化、制度、技術、生成可能性を研究する領域である。とりわけ自己以前性は、社会的・言語的に固定された自己になる以前にすでに働いている感覚、方向性、身振り、感情、判断、創造可能性に注目し、自己を原因であると同時に生成の結果として捉える。
本文
人間以前性と自己以前性は、生成学において、人間や自己を世界理解の絶対的な出発点とする前提を問い直す研究領域である。
近代的な思想では、主体としての人間や自己が、認識、判断、意味、価値、行為の起点として置かれることが多い。
しかし生成学では、その起点そのものがどのように生成されたのかを問う。
人間が世界を認識する以前から、世界は存在している。
身体があり、物質があり、環境があり、他者があり、時間があり、歴史がある。
また、人間が自己を言語化する以前から、感覚、呼吸、姿勢、方向性、情動、快不快、身体的反応などが働いている。
したがって、人間や自己は、完全な無から自らを開始することはできない。
人間以前性とは、この人間による認識や意味づけに先行する条件を研究する概念である。
ここでいう「以前」は、単なる時間的な過去だけを意味しない。
それは、人間を人間として成立させる条件が、人間の意識的判断に先行しているという構造的な以前性である。
地形、気候、重力、身体、生物学的条件、物質、他者、社会、文化、言語、技術などは、個人の意思によって一から作られたものではない。
人間は、それらの条件がすでに働いている世界へ生まれる。
この意味で、人間は世界の外部から世界を観察する主体ではない。
人間自身が、世界の生成関係のなかから成立する。
人間以前性は、人間を否定する概念ではない。
むしろ、人間を孤立した中心から解放し、人間がどのような広い関係によって成立しているのかを研究する。
そのため、人間以前性は単純な反人間中心主義でもない。
人間を別の中心によって置き換えることが目的ではない。
中心そのものがどのような関係から成立するのかを問うことが重要である。
自己以前性は、この問題をさらに自己の生成へ展開する。
自己は、生まれた瞬間から完成した同一性として存在しているわけではない。
名前を持つ以前、社会的役割を持つ以前、自分を説明する言葉を持つ以前にも、身体は世界に触れ、感じ、反応している。
この状態には、まだ固定的な自己概念へ回収されていない生成可能性が存在する。
自己以前性において重要なのは、この自己以前の状態を単なる未熟さや欠如として考えないことである。
そこには感覚がある。
方向性がある。
身振りがある。
快や不快がある。
惹きつけられることや避けることがある。
言語化以前の判断がある。
また、何かを作る、動く、触れる、選ぶという創造的な可能性も存在する。
したがって自己以前性とは、自己がまだ存在しない空白ではない。
それは、固定された自己へと局所化される以前の、複数の生成可能性が開かれた状態である。
自己は、その生成可能性の一部が関係のなかで具体化されることによって成立する。
この意味で自己とは、生成の原因であるだけではない。
自己そのものが生成の結果でもある。
しかし一度形成された自己は、その後の判断や行為の条件となる。
したがって自己は、生成の結果でありながら、次の生成の条件にもなる。
ここに循環が生じる。
生成された自己が世界に働きかけ、その働きかけによって世界との関係が変わり、その変化した関係から再び自己が生成される。
自己とは固定された一点ではなく、この循環のなかに生じる局所的な状態である。
この構造は自己外部化と深く関係する。
人間は言葉を発し、行動し、道具を用い、記録を残し、作品を作り、他者との関係を形成する。
それらは自己から外部へ現れた痕跡である。
しかし、外部化されたものは自己から完全に切り離されるわけではない。
自分が発した言葉、自分が作った作品、自分が形成した関係が、後から自己自身へ作用する。
そのため自己外部化とは、完成済みの自己の単なる表現ではない。
外部化そのものが、その後の自己を生成する条件となる。
この過程には不可逆性がある。
一度発した言葉、一度行った行為、一度形成した関係は、完全に無かったことにはできない。
それらは履歴として残る。
自己は、その履歴を引き受けながら生成され続ける。
したがって自己とは、現在の自己認識だけではない。
自己には、自分が選ばなかった条件、自覚していなかった関係、忘れた経験、身体に残った感覚なども含まれている。
この意味で、自己は自己自身に対してさえ完全に透明ではない。
人間以前性と自己以前性は、生成の位相存在論における関係先行性を、人間と自己の問題へ展開する。
もし存在が関係のなかで成立するのであれば、人間や自己も例外ではない。
人間や自己の境界も固定されたものではなく、環境や他者との関係によって変化する。
この問題はインターフェイス存在論へ接続する。
身体は代表的なインターフェイスである。
身体は自己を世界から完全に分離する壁ではない。
見ること、聞くこと、触れること、動くこと、痛むこと、快を感じることなどを通して、自己と世界が接触する場所である。
身体を通した接触によって、自己と世界の双方が変化する。
言語もまた自己形成のインターフェイスである。
人間は、自分が作ったわけではない言語を用いて自己を説明する。
「私」という語も、自己によって一から作られたものではない。
それにもかかわらず、人間は既存の言語を使用することによって、自分自身を対象化し、自分が何者であるかを形成していく。
このとき言語は自己を表現するだけでなく、自己を生成する。
同時に、言語によって自己が固定される危険もある。
ある属性、職業、立場、診断、評価、所属などによって自己を説明すると、その言葉が自己の可能性を限定する場合がある。
自己以前性は、このような固定された自己の背後に、まだ別の生成可能性が残されていることを示す。
したがって自己以前性は、無名性とも接続する。
名前を持つことは社会的関係のために重要である。
しかし名前が存在の全てではない。
名前や役割や評価へ還元される以前に、存在にはそれらを超えた生成可能性がある。
この問題は芸術にも関係する。
芸術制作において、作者が最初から完成した意味を持ち、それを作品へ移すとは限らない。
制作中の身体運動、素材との接触、偶然、失敗、違和感、他者からの反応によって、作者自身が知らなかった方向が現れることがある。
このとき作品は、既存の自己の表現ではなく、自己以前の生成可能性を外部化するインターフェイスとなる。
即興も同様である。
即興では、事前に完成した自己の判断だけで行為することはできない。
現在の環境、身体、他者、出来事に反応しながら行為が生成される。
そこでは自己は行為の完全な原因ではなく、行為とともに生成される。
人間以前性と自己以前性は、共存在の問題とも結びつく。
自己は他者との関係以前に完成しているわけではない。
他者から呼ばれること、見られること、触れられること、信頼されること、拒絶されることなどが、自己形成へ関与する。
したがって自己は、他者から独立した純粋な内部ではない。
自己の内部そのものに、すでに他者との履歴が含まれている。
この点から、自己と他者を完全に分離する二項的な構造は問い直される。
自己と他者は同一ではない。
しかし完全に無関係でもない。
差異を保持したまま関係し、その関係のなかから自己と他者の位置が再び生成される。
現実感も、この問題と関係する。
自己が現実から完全に切り離されているなら、自己が自分自身を確実に根拠づけることは困難になる。
自己の現実感は、自分の内部にだけ存在するのではなく、身体、他者、環境、行為との関係によって支えられている。
このため、「私は考える」という自己内部の確実性だけでなく、「私は現実を感じ、その関係のなかで生成される」という問題が重要になる。
これは生成的コギトの問題へ接続する。
人工知能の登場は、人間以前性をさらに重要な問題にする。
知的処理、言語生成、画像生成、判断補助など、人間だけの能力と考えられていた活動の一部が人工知能によって実行可能になった。
この状況は、人間とは何かを能力の一覧によって定義することの不安定さを示している。
重要なのは、人間と人工知能のどちらが優れているかという単純な比較ではない。
人間と人工知能が異なる生成条件、身体性、時間性、履歴、環境を持つ存在として、どのような関係を生成するのかを研究することである。
この問題は、人間を固定された定義から解放し、人間そのものを生成的な存在として捉え直す契機となる。
また、自己以前性は現代社会における自己の過剰な対象化への批判にもなる。
人間はプロフィール、数値、評価、フォロワー、職歴、属性、データなどによって、自分自身を対象として見ることが増えている。
これらは自己を理解するための手段である一方、自己を固定された情報へ縮小する可能性も持つ。
自己以前性は、そのような対象化によって完全には回収されない領域を研究する。
それは、まだ名前が付いていない感覚、まだ説明できない違和感、まだ価値づけられていない行為、まだ作品になっていない創造性である。
ここには未来が含まれている。
自己が完全に既知であるなら、自己には新しい生成は起こらない。
自己が自己自身に対して非閉鎖的であるからこそ、人間は変化しうる。
したがって自己以前性は、過去へ戻るための概念ではない。
それは、まだ固定されていない未来の生成可能性へ開かれるための概念である。
人間以前性と自己以前性の研究は、人間や自己の価値を否定するものではない。
むしろ、人間や自己が単独で自立した存在なのではなく、膨大な関係、歴史、身体、環境、他者によって支えられながら生成されていることを明らかにする。
この視点から見れば、自己とは世界から切断された主体ではない。
自己は世界との接触によって生成され、世界へ痕跡を残し、その痕跡によって再び変化する存在である。
人間以前性と自己以前性は、この循環を研究する。
その目的は、自己を消去することではない。
自己を最終的な根拠から、生成し続けるインターフェイスへと捉え直すことである。
Keywords
人間以前性;自己以前性;人間;自己;身体;感覚;関係;環境;他者;言語;歴史;生成可能性;自己外部化;生成