No.0139

インターネットが重層化されはじめている。
インターネットでの歴史の創発。
(インターネット史、
インターネット美術史のはじまり)

text : mama(美学者母)
2019年1月8日(火曜日
)執筆

 

この10年余り、
私はインターネットにおける、
アートの可能性、
つまり情報世界でのアートの可能性を、
模索してきたわけです。

インターネットが産まれて、
まだ30年程度なわけで、
まだまだインターネットの使われ方には、
私は無限の可能性があると考えています。

これは私の思考でいうと、
人間がパラレルプロセシングを獲得したのと、
人間がインターネット世界と、
物理世界のパラレルワールドを獲得したのと、
非常に近しい出来事だと考えています。

 

人間は約2万年前に、
パラレルプロセシングを獲得しました、
そして人間は「意味」と「形」を同時に、
認知することができるようになり、
芸術性を獲得し、
道具を発明し、
飛躍的に文明を発達させていったわけです。

これは「意味」と「形」の並列思考です。

 

そして現代、
インターネットの創発によって、
「インターネット世界」と、
「物理世界」というものを、
同時に体験する「情報世界」というもの、
つまり「パラレルワールド」を獲得したのです。

 

西洋美術史などでは、
この約2万年前の壁画などを、
原始美術として定義し、
そこから西洋美術史は始まっていくわけです。

その様な観点からも、
インターネットが創発し、
パラレルワールドを獲得した、
現代の「情報世界」において、
まさに「物理世界」での、
「原始」という「歴史」が始まっている、
その様に私は強く感じています。

 

その事を最近強く感じているのが、
「情報世界の重層化」です。

それは、
一次情報、
二次情報、
三次情報、
という風に情報が、
重層化されてきており、
元情報が観えなくなってきている。

そしてその事自体が、
つまり「歴史の創発」と同義であるからです。

 

例えば物理世界を振り返れば、
一次産業、
二次産業、
三次産業、
この様に物理世界でも同じ様に、
「物理世界の重層化」が進み、
まさにその産業と歴史は同時的に変遷しているのです。

 

現代の若い人たちは、
「魚の切り身」はスーパーで観ているのですが、
その「魚自体」は観たことがないのです。

それと同様に、
現代の若い人たちは、
「情報が切り貼り」されたものをインターネット、
で観ているのですが、
その情報の「元の情報」は観たことがないのです。

簡単に例えれば「トゥギャッター」の様なもの。

 

その様な背景を逆説的に捉えれば、
例えば私が定義した「ウェブインスタレーション」、
などは、
「物理世界」においての、
「ラスコー洞窟の壁画」だと言えます。
私は常に「歴史に残る仕事をする」という事を、
本気で考え、
100年、1000年、10000年先にこそ、
私自身の作品の可能性を考えているのです。

現代に私がしている仕事は、
インターネット史、
インターネット美術史、
に残るだけのものであると、
私自身は確信しています。

 

 

美学者母