No.0058

メディアアートはアートじゃ無い

text : mama(美学者母)
2015年4月16日(
木曜日)執筆

 

0642764284...神に通ずる電話番号



アートにおいてのテクノロジーの使い方を示唆しているように思う。
最近凄く感じている事があって、
例えば最近メディアアートと言われるものが、
凄い勢いで広がっているわけです。
そして日本で言えば「文化庁メディア芸術祭」などが盛り上がっている、
さらに人気のあるメディアアーティストという人たちもちらほらでてきて、
それが現代アートとして取り扱われていたりする
。具体的に言えばチームラボや真鍋大度など。
そういった一連の最先端アートを観ていて、
アートの本質からどんどん離れていっている事を危惧するのです。
それはなぜかというとメディアアートと言いながら、
ただの「使い方見本市」と化しているからです。
それは非常に表面的でありアートの本質と相容れないものです、
もっと具体的に言うとただテクノロジーを、
如何に先鋭化するかと言う事が、
メディアアートになってしまっている事が重大な間違いであるのです。
アートの本質や原理とはその逆で、
如何にそのテクノロジーをアイロニーに扱い、
又は企てを画策しそこに面白みを発見するハイコンテクストなものなのです。
つまり今のメディアアートの重厚さは非常に薄く、
むしろテクノロジーを皮肉するどころか、
テクノロジーの追求を迎合している、
ただのテクノロジーの付帯品に成り下がっているのです。
この事はかなり昔から私は危惧しているのですが、
もっと最先端アートやメディアアートが、
もっと本質的なアートの構造に気づいてほしいと願っています。
最後にチームラボと真鍋大度を並列して名前を書きましたが、
この二者にも大きな違いがあり私は真鍋大度さんは、
アート的な重厚さを持った作品を制作されていると考えています。
それに比べチームラボの作品はそれこそ、
テクノロジーの「使い方見本市」でしかない事を最後に記述しておきます。
この点は以前から私が言っている事ですが。
その違いが解る人も少ないようです。
今回のこの「携帯」の作品は非常に優れた作品で、
重厚さを持ちアートの原理や構造を持っています。
皆様にはこのような本物のアートをどんどん体験してほしいと考えています。
僕も電話かけてみようかしらぁwww