No.0090

ノウハウ know how からノウホワイknow whyへ

text : mama(美学者母)
2015年7月6日(
日曜日)執筆

 

この小学校の先生がすごい!
子どもたちのやる気を引き出す数々の仕掛けとは

http://www.huffingtonpost.jp/hrnavi/teacher-motivation_b_7718608.html

大人になると皆んななんで勉強しないのかなって、
勉強するのは若い頃や学生の頃だけ?って単純に思います。
なぜって僕は学生の頃勉強を全くしてなかったらんですね、
それでお前何してたんだって言われたら。
まぁ野球ばっかりしてたんですが、
確実に僕は学生時代より大人になってからの方が学んでいます。
なんか変に皆んな先入観で学ぶのは学生時代だけってありますよね、
人生いつでも学んでいいわけで、
学ぶのは学生時代や若い頃だけって誰も決めてないのに。
大人になると急に学ぶ事を辞めちゃいますよね。
それって今の教育制度に問題があるんですね、
それはknow-how型の勉強だからなんです。
つまり表面上、
どう上手くこなしていくかと言うknow-howを教えていて、
その本質や原理は知らなくていいっていう教育なんです。
つまり学生時代にそういったknow-howを蓄積して大人になったら、
そのknow-howを活かしたり応用して社会にアジャストしなさいね、
と言う社会対応型なんです。
つまりその本質や原理はしらなくてもいいから、
とにかく社会適応できる人間を、
今の日本という国や教育は生み出そとしているわけです。
しかし僕のように大人になって学びはじめると、
ある意味興味本位の学びをするわけです。
つまりknow-howを得たいから学ぶのではなく、
know-whyで学びはじめるわけです。
つまり点数を競ったり成績を競ったりするわけでわなく、
単純にその現象なり表層がなぜそうなっているのか、
という本質や原理を得たくて学ぶのですね。
では本質的な学びとはknow-howなのでしょうか?
know-whyなのでしょうか?
僕はこの記事に書かれているようなknow-whyだと考えています。
学びとは本来人間がこの世界を全て掌握したいという、
欲求から生まれています、
この世界はいかに存在しどのような構造を有しているのか。
学びとは世界を知っていく喜びでもあります、
決して良い大学に入るためのものでも無く、
良い会社に入るためのものでもありません。
ましてや社会適応するためのものでもないのです、
今の日本の教育はいかに社会に適応する人間を製造するかという事、
を考えています。
すなわち画一的でロボットのような人間を生み出す装置になっていて、
そこから逸脱する人間を不良品として社会から追い出し隔離しています。
これは日本の多様性を阻害する根源で、
日本の街中は世界的にみても清潔で秩序をもち、
能面のような人間ばかりが存在します。
それは世界から賞賛されたりもしますが、
本当にそれは素晴らしい事なのでしょうか?
多様性というものを完全に排除した結果が、
清潔で秩序をもち能面のような人間ばかりの街中が、
生成されているのではないでしょうか 。
僕はこのような状況は、
日本式のknow-how型教育に問題があると考えています、
もっとそれぞれの個性や特性を、
学校はもとより社会や公共が包容し、
多様性に満ち溢れユニークで様々な人間が入り乱れる、
日本を作っていかなければなりません、
それにはまず教育制度、教育改革がひつようです。
その意味でもこの記事の先生の取り組みは素晴らしいと思います。