No.0094

会田誠の【檄】は何も表現していないし語れていない

text : mama(美学者母)
2015年7月26日(
日曜日)執筆

 

今美術界隈で話題ですが、
せっかくなので端的に直球でお話します。
東京都現代美術館はだれのもの?
東京都民のものであり、もっと言えば公共のもの。
公共性の中でアーティストという立場を利用し、
政治的な発言を行う事が許されると思いません。
それを許せば公共という定義や前提が崩壊します、
何人も公共の前には平等でなければならないのです。
それは芸術家も同じです、 そこに表現の自由は抑制されるのです。
公共というルールにのっとり表現すればいいのです。
もっと言えばそんな表現をしたければ、
公共性の低い場所がいくらでもあるのですから、
十分に表現の自由が担保されている事は忘れてはいけません。
また会田誠氏が作品をロジカルに説明し、
反論していますがそれはまったくの無意味です。
そもそも公共という相手の土俵のルールに然う事を前提に、
この東京都現代美術館はあるのですから、
作品がいくら正当性を持っていても意味が無い。
そのものを批判したければ、
そのものの外から批判するのが論理ではないでしょうか。
話は少し違いますが、 国立大学生が国を批判しているのを観ましたwww
そもそも論理的におかしな構図なんですね。
これを哲学的な構図で言うと、
「超越論」と「超越論的視点」の違いです。
すなわち、 会田誠は「井の中の蛙大海を知らず」という、
非常にへぼい論理展開をし、 糞みたいな権威を振りかざしている、
蛙ちゃんケロケロ〜なんです。
そもそもアイロニーでもなんでもない作品です。

アート利権で食ってる糞な美術家は黙って権力に従っとけよ。

美学者母