No.0122

才能とは何か

text : mama(美学者母)
2016年3月3日(
木曜日)執筆

ある人は僕に才能があるという、
ある人は僕に才能がないという。

この事に対する僕の答えは後者である。

僕はある時自分に才能いない事に気づいたんだ。
だからあらゆる事を理解する事に情熱を傾けた、
理解しないと自分の中で消化し表現できないから。
例えばそれは表現において、 自己排除し、
自分の力の及ばない力で表現しようとするときも、
たとえばアートでいえばオートマチズム的な事だったりでも。

それは僕の理解の上にその現象は起こっている。
なので僕はある種西洋的精神において救われた人間で、
日本的精神においては存在すら無い。
才能が無い人間は、ある種修行しなければならない。
西洋的にはそれは学問であるし真理を追究する事。
日本的にはそれは技巧であるし超表面性を手にいれる事。
実はこの二つには大差はないのである。

西洋は演繹的に積み重ねてその重厚さの表面性を手にいれる。
日本はひたすら技巧を積み重ね、
その演繹的なプロセスを超えその超表面性を手にいれる。
これは才能が無い人間が行う振る舞いであるが、

本当に才能がある人間というのは、 その文脈や鍛錬をも凌駕し、
その刹那にその表面性や超表面性を表現できる人の事。
それが「才能」であり「天才」であるのだ。

具体的な話で、 イチローが椎名林檎の才能に嫉妬したという話がある。
これはよく理解できる話なのだ。

僕の持論では、 イチローには才能が無いが椎名林檎には才能がある。

アートの世界では、 村上隆には才能が無いが草間彌生には才能がある。

このように分析できるわけです。 その刹那に表面性や超表面性を、
文脈や鍛錬を伴わずにできる人が、

「才能がある」または「天才」なのだと考えています。

美学者母