No.170

川上量生と宮崎駿からみえる
ポスト現代アート、現代美術

text : mama(美学者母)
2016年11月15日(火曜日
)執筆

 

理性的と感情的の相対性であって、
例えばクリエイティブで考えると、
本質を語るより、 感情を揺さぶる方が、
多くの人を動員できるというロジックです。

すなわち宮崎駿は感情的で動員を起こすが、
川上量生は理性的で本質や原理を言っているが動員は起こらない。

これは、
研究者と創造者の違いでもあるのだが、 結果、
これはある種の民主主義の限界とも繋がる。

それはアメリカ大統領がトランプになったのと同じで、
感情的なものは動員しやすい、
すなわち多数派を形成するには、
感情で動員するのが簡単だという事です。

つまり本質的な原理、論理などよりも、
感情が優先されるという事が、
ある種の民主主義の終焉を告げているのである。

この事はあらゆる知識人、
哲学者、美学者、科学者などなど、
この人間の振る舞いを理解しなければならない。

しかし僕は、
この様な文脈のない感情動員を、

量子論的に理解し、
ポスト民主主義、
ポスト資本主義、
そして、
ポスト現代アート、

そう捉えており。

「量子論美術宣言」を宣言した。

このある種、
論理的に矛盾している事こそ、
ある種のカオスであり。

実はそこに、
論理的、演繹的、本質的なものを超えた、

超越的人間世界があると考えています。

その意味で、
宮崎駿の次の作品があるとすれば、
ぜひ観てみたいと思っています。

 

美学者母