No.179

知の独占は終わり、知の共有が起こり、
知は知を欲するものに平等に与えられる

text : mama(美学者母)
2016年12月20日(火曜日
)執筆

 

東大生より賢い風俗嬢。若者の間に知性の逆転現象が。

http://blogos.com/outline/202357/

 

僕は最終学歴は高卒だ、
僕のことを女性と思っている人が多いが、
38歳のおっさんだwww
美学者母と名乗っていたり、
ビジュアルイメージに女性の裸体を用いたり、
そんなこんなで女性のイメージがついているようだwww

そこに関しては男でも女でもどちらでもいい、
僕は人間だと思っているから。

また、
学歴が高卒である事で色々な問題に直面した事もあるが、
高卒である自分を後悔したり、
恥じたりした事は無い。

しかし、
高卒というだけで頭が悪いと言ってくる人間。
そんな人間に対しての怒りの欲動は、
今でも強い私の欲動として働いている。

ここから話は少し変わるが、
「知性」とは一体なんなのか考えて欲しい。
「知性」や「知識」、「教養」と。
「学歴」は比例するのかしないのか。
それがこの記事にも書かれている事だと思うのです。

僕は高卒でさらに全く勉強せず、
授業中は漫画のダメ学生の様に、
朝から、一日授業が終わるまで寝ていた。

起きたと言えば、
昼休みのご飯の時くらいだ。
これは私の学生生活の一番を野球というスポーツ、
それに注ぎ込んでいたからであるのだが。

放課後から夜まである練習、
寮に帰ってからの掃除、洗濯、 翌朝の朝練。
そのために体を授業中に休ませていたwww

しかしそんな学生生活を今考えると、
自分自身の物事の考え方の基礎になっている、
その様に思えるのです。

それは寝ていた授業の事ではなく、
野球というスポーツを通して会得したもの、
それはある種特異なものかもしれませんが、
スポーツをしていた方なら解るかもしれません。

それは、
あらゆる物事を立体的に捉える能力です。
もっと具体的にいうと、
「空間認識能力」といいますか、
特に野球はその様な、
空間を立体的に捉える能力が求められます。
また物理的な空間認識能力の他にも、

人間との情報空間での意思疎通など、
人間として実は、
非常に高い能力を求められます。
それらの能力は、
今私がこの様に文章を書いたり、
事象を分析したり、
美術作品を批評したり、
その様な事に多分に利用しているのですね。

その上で僕の様な存在は稀だと思うのですね。
日本の学校教育の上では高卒ですが、
その高卒でもほとんど勉強しなかった訳です。

社会的に言うと、
低学歴でバカと言われるカテゴリーです。
それは僕は否定しないのですね。

なぜなら僕の中では、
「低学歴」、「バカ」、と。
「無知性」、「無知識」、「無教養」は、
イコールでは無いからです。

この記事の内容で対照的に表現すると。
東京大学卒業の、
「無知性」、「無知識」、「無教養」の人間より、

学歴が無い、
「知性」、「知識」、「教養」がある人間の方が。

僕にとっては魅力的なのです。

その様な事から、
僕自身も普段から、
「知性」、「知識」、「教養」を高める為に、
日々努力しているのです。

ここからの流れからも解る通り、
私は、
「学歴」と、 「知性」、「知識」、「教養」とは、
比例しないという考え方です。
それはただ感情論ではなく、
論理的にも私は確信を持っています。

それは日本の学校教育制度に問題があり、
教育というものが、
直列思考に基づいた、
記憶重視のパターン教育だからです。

しかし本来「知の領域」とは、
非常に立体的な領域であり、
これを習得するには、
「知を立体的に捉える」能力が必要です。

先述しましたが、
私は無意識にその直列的な記憶中心のパターン教育を、
回避してきたwwwと言いましょうかwww

物事を「立体的」に捉え、
並列的に思考し、
それらの根本的概念まで捉える。
それがまさに、
「知性」「知識」「教養」のベースなのです。

そこから言える極論を申しますと、
この様なインターネット空間というのは、
非常に立体的な情報空間です。

すなわち実は、
このインターネット空間を掌握するというのは、
「知性」、「知識」、「教養」がとても必要で、
逆説的にそれらを磨く場としても大変有効なのです。

僕はこの「知の革命」の恩恵を受けた一人です。
インターネットという世界は、
知が共有され、
それを欲する人間に平等に与えられます。
そして無自覚にそれを鵜呑みにせず、
常にフィードバックが必要な世界なのです。

常に検証し、
さらに原理へと近づく。

嘘にまみれた世界がインターネット?
違います、
この世界そのものが嘘に塗れているのです。
インターネットだけが特殊な世界ではなく、
私たちの世界そのものを、
ドラスティックに映し出しているだけなのです。

これからは、
「学校なんて行かなくていい」
、 と私は本気で考えています。

おそらく、
私の様な人間がこれから沢山出てくるし、
そもそも学校教育自体が崩壊する時代が来ます。

それはそう遠くない未来に。

 

 

美学者母