先日の言説で、
私が行っている、
ウェブアート宣言から産まれた、
ウェブインスタレーションなどを、
ITA(インフォーメーションテクノロジーアート)として、
定義し、
そこに落とし込むことができる旨を記述したので、
今回はその美術的構造につてい言説していければと思います。
まず私のウェブアート宣言は2010年に宣言したもので、
もう2016年も終わりですので、
今から考えますと約6年前に宣言しました。
私がこのウェブアート宣言をなぜ宣言したのか、
というのは非常に複雑な問題ではあるのですが、
端的に申しますと、
インターネット黎明期からのその情報の真偽性です。
私がインターネットを始めたのは、
高校を卒業した1997年頃だと記憶しています。
それこそインターネットの黎明期で、
ヤフージャパンなども立ち上がって間もない、
そんな頃です。
その頃のインターネットの状況と言いますと、
世間的にもまだまだインターネットは普及しておらず。
インターネットに書かれていることなど、
リアルではなくバーチャルで、
疑いもなくそれは虚偽である。
そういう認識が一般的でした。
しかし私はインターネット黎明期から、
その一般的な認識に疑問を感じていました。
それは一般的にリアルと言われる空間も、
インターネットに代表され、
一般的にバーチャルという空間も、
真偽性についてそこに差異は無いのだ。
そのように直感的に感じたわけです。
それはもっと端的に申しますと、
物理空間と情報空間の差異と言い換えることが可能です。
そんな考えを表層化したものが、
2010年に宣言したウェブアート宣言であり、
その造形的表現としてウェブインスタレーション、
それを社会に提示しました。
そして現在2016年になり、
様々な分野でこの、
情報空間と物理空間の真偽性というものが、
問題になり表面化してきています。
つまり、
私が問題定義したものが、
一般社会でどんどんと現実的に、
表面化してきたわけです。
そして現在に渡るそれらの現象を、
「ポスト真実」(post-truth)として、
オックスフォード英語辞書が、
世界の今年の言葉として選びました。
少し自分でも怖い話ですが、
僕の考えているように世界は動いています。
その上で6年前に、
「ウェブアート宣言」をしたのです。
ではその上で、
私が掌握する世界、
そして、
このウェブインスタレーションや、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)、
に含まれているアイロニーやロジックを、
少しだけ簡単に解説したいと思います。
そして、
最後に私なりの今を生きる提言もさせていただきます。
まず「ウェブアート宣言」は、
物理空間と情報空間のバインディングを提示しています。
つまりそこには差異が無いという事です。
しかし一般的に我々は、
情報空間、
例えばインターネットには、
ディスプレイを介して干渉し、
そのディスプレイの表裏において、
物理空間との差異を確認しています。
しかし昨今この差異が非常に縮小化し、
インターネット黎明期以後、
その差異が確実に減少しています。
その上で昨今問題になっている、
インターネット情報の真偽性の問題として、
表面化してきています。
ここは大きな一つのポイントで、
「ウェブアート宣言」の大きな意図です。
次にウェブインスタレーションという、
造形的表層化の解説です。
私はウェブインスタレーションとして、
インターネットのWEBやSNSで文章を綴っています。
なぜ造形的表層なのに、
文章なのか?
という疑問が皆様から寄せられるわけですが。
ここにも複雑な構造が存在しています。
この言説や文章を造形としようと、
私が思い立ったきっかけは、
「言文不一致」というものです。
すなわち言い言葉と書き言葉が違う、
それは日本語そのものが持っている特性でもあり、
またもともと日本語が「言文不一致」だったわけです。
そんなところから、
言説や文章を造形として扱うアイデアを思いつきました。
そして、
さらにインターネットで、
その造形としての言説や文章を扱うと、
さらに芸術的な作用が産まれる事を発見したのです。
それがウェブインスタレーションとしての造形です。
なぜ言説や文章をWEBやSNSに綴る事が、
ウェブインスタレーションなのか?
そこについてもう少し解説しますと、
インターネットが無かった時代の、
言説や文章を思い出して頂くと、
理解が容易になると思います。
簡単にいうと、
パブリッシング、
すなわち、
それまでは言説や文章を、
他人に見せるには、
出版という手法が一般的でした。
簡単に言えば本や雑誌ですね。
そしてそこには物理的なアーキテクチャ、
すなわち本という形、
雑誌という形、
そういう形が伴い、
その形を創り、
多くの人に観てもらう為に、
物理的な本屋や店舗に並んでいたわけです。
その出版というプロセスには、
大きなコストや、
多大なる信用、
それらが必要で。
必然と出版というプロセスを経た、
そういった本や雑誌は、
アプリオリに、
一般の人々は信用していたわけです。
私たちは本という体裁、
雑誌という体裁、
そういう体裁自体に信用を持ち、
それ以上の思考はエポケーされていたんです。
すなわち、
本や雑誌という信用のあるアーキテクチャの、
一つ一つの言葉や意味を、
疑うことが無かったわけです。
ここで二つ目の大きなポイントで、
本や雑誌の時代は、
言葉の意味や、
言葉それ自体には信用があった。
すなわち言葉がアイコン化されていた時代です。
そして現在、
インターネット時代に突入し、
インターネットも黎明期を過ぎ、
少しづつ成熟しつつあります。
そのインターネットは、
出版というプロセスを経ずに、
言説や文章をダイレクトに、
一般の人々へ届く。
そのような状況になっています。
ここで、
インターネット時代の言説や文章の変容が確認できます。
それまでの本や雑誌という造形的体裁がなくなったのです。
私はこれは非常に大きな革命だと考えています。
インターネット以前は、
その本や雑誌の体裁がある意味、
信用の担保や価値担保になっていたのですが、
その造形的担保が一気になくなったわけです。
そして現在は、
文章や言説自体が造形的担保になっている、
それが私の考えです。
すなわち、
文章や言説自体のアイコン化の時代なのですね。
それが顕著に表れているのが、
グーグル検索での上位検索などです。
これは明らかに、
文章や言説を造形的に捉えている根拠となります。
すなわちインターネット空間、
情報空間でのパブリッシングが、
さらに上位概念化され、
非常に抽象度が上がったのです。
これは当然の事でして、
物理空間の本や雑誌、
という所から、
情報空間の言説や文章に、
造形的担保が変わったのですから当然です。
ここで大きな三つ目のポイントで、
インターネットの時代は、
文章や言説そのものに造形的価値や信用が産まれ、
文章や言説そのものがアイコン化される時代です。
すなわち、
インターネットという情報空間で、
文章や言説という造形、
それらを配置している。
または展示している。
それが、
ウェブインスタレーションなのです。
ここまで、
大きな三つのポイントを言説しました。
この、
2016年12月23日(金曜日)
私の提言として、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)時代、
ITA時代の到来であると提言したいのです。
まず物理空間と情報空間という分離は終焉を迎えます。
なぜならば、
物理空間も情報空間であるという原理だからです。
そして言説や文章は、
非常に平坦化されます。
これは今までの既得権益の崩壊でもあります。
言説の平坦化です。
すなわちあらゆるものがフラットに扱われます。
それは上下の権威と民衆や、
左右の真実や、虚偽。
それらがすべてバインディングされていきます。
そして、
すべての人々が真実を知る事になるでしょう。
真実とはその人が真実だと思えば真実です。
また真実と思う人が、
沢山集まれば、
さらにその真実は強固なものとなります。
これは壮大な革命です。
これまでは一部の知識人や権力者が、
真実を創ってきたわけですが、
これからは、
真実を我々一人一人が創っていく時代です。
最後に、
「真実」とは創られるものなのですね。
それを多くの民衆が気づき始めている。
それが今まで世界を掌握してきた、
エスタブリッシュメントの没落であり、
「ポスト真実」時代なのではないでしょうか。
それではこれから、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)、
ぜひ期待してくださいね!!!
美学者母