No.184

既成概念では充実しない世の中
(第四次産業革命)

text : mama(美学者母)
2016年12月26日(月曜日
)執筆

 

日本が「働き方後進国」を脱却するために必要なこと

http://forbesjapan.com/articles/detail/14674

 

昨今色々な局面で二極化という事が言われています。
しかしこれって、
強制的にされているのか、
それとも選択しているのか、
受動的なのか、
能動的なのか、
この辺とても不可解に感じています。

この地球、
人類という流れでも、
歴史上色々大きな二極化があったと思いますが、
その二極化は、
僕は能動的な選択として考えているのですね。

例えば近代というもので考えると、
近代国家というモデルを受け入れるのか、
それとは違う国家モデルを選択するのか。

結果、
産業革命以後、
国家間の二極化が産まれたわけです。
これらは国家というマクロな視点ですが、

現代においての二極化も、
実は能動的な選択ではないでしょうか。
産業革命は国家の選択であるとともに、
一人一人の国民へ紐ずけられたものでありました。

その上で、
生活の様式や質というものが、
近代国家を実現した国民と、
それ以外の国家の国民が二極化したわけです。

しかし現代の新しい二極化は、
国家という地政学的問題以上に、
個人が能動的に選択する余地が大きい。
それは、

第二次産業革命(重工業)、
第三次産業革命(情報) 、
第四次産業革命(知能) 、

上記のように、
産業革命以後、
どんどんとその内容が、
パーソナルな問題となっています。

特に僕が体験した、
第三次産業革命の情報革命ですが、
これはインターネットに代表されるものです。
今から20年位前に起こり、
私はまだ10代でした。
10代で何の知識もない状態でしたから、
とにかくインターネットという世界を知りたい、
その様な思いから、
インターネット黎明期に積極的に、
インターネットを利用していました。

しかしその頃の僕の仲間達は、
インターネットに嫌悪感を抱く様な人。
例えば、
バーチャルで現実ではない、とか、
オタク、陰気臭い、ダサイ。 などなど、

当時のインターネットは、
僕の仲間達も、
社会もそうですが、
ネガティブな印象が強かったのです。
しかし私は積極的に使用していました。

そして20年経った現在、
インターネットが無くては生活できない。
その様な環境ができています。
その20年前の第三次産業革命は、
個人的に能動的な選択ができたのです。
その頃からインターネットを、
嫌っていた僕の仲間達は、
現在でもインターネットに対して不自由で、
ある意味、
情報格差が極端に生じています。

実際にこのフェイスブックやSNSなどもしていません。
これは端的に言うと、
情報弱者との二極化なのですね。

しかし、
それを選択したのは、
一人一人の個人が能動的に、
インターネットを活用しないという選択をした。
という事ですが。
結果それが大きな差になってくるという事です。

つまり、
近代の産業革命を選択した国家と、
それ以外の国家との差と同じなのですね。

そしてここからコアな話になりますが、
現在、 第四次産業革命が起ころうとしています。
例えば、
IoT、人工知能など。
この領域を毛嫌いしている人々をよく見ます。

それって、
僕が20年間に経験した、
インターネットを毛嫌いしている、
僕の仲間と同じなのですね。
すなわち、
現在起ころうとしている、
第四次産業革命をどう能動的に選択するか、
それがこの10年後、20年後の、
大きな差となる事が明解なのです。

僕は、
それを選ぼうが選ばまいが、
それぞれの自由だと考えていますが。
それが結果、
近代国家とそれ以外の国家の差になった、
という事実から考えても、
私自身は第四次産業革命を、
能動的に選択し、
さらに自分自身の飛躍に繋げていきたい、
強くそう考えています。

そういった考えに早く至るには、
やはり、
自分自身を再定義する必要があるのですね。

すなわち「再構築」です。
自らの再構築をしなければ、
今までの既成概念や、
因果、 既得権益、村、利害。
その様な事から。
未開の地には足を踏み入れにくい、
というか踏み入れられないのです。

私は現在とても重要な局面にきていると、
そう強く感じています。

二極化という言葉で、
受動的に強制されているのは思い込みであり、
現在の第四次産業革命は、
国家では無く個人が、
能動的に選択できるものなのです。
そして、
その選択の差は、
とてつもない大きな差となるでしょう。

 

美学者母