皆様、
あけましておめでとうございます。
私は元旦に住吉大社で、
初詣を済ませてきました。
ということで、
今年一発目の文章でも書こうか、
ということで今年のキーワードとして、
私から皆様に「大衆権威」というものを、
お届けしようかと思います。
まず2016年に、
私どもは、
狭山美学校というものを立ち上げました。
狭山美学校は、
コミュニケーションのプラットホームです。
内容は美学や哲学を学ぶ場所、
またはそれらのサロンとしての役割。
そして昨年注力した民宿的な役割。
幸いなことに民宿事業は、
とても好評を得ており、
様々な国や地域からお客様を迎えることが、
できています。
今年はその、
民宿事業に加えて、
サロンとして、
様々な人々が交わる場、
としての場を、
より強固にしていきたいと考えています。
さらに、
今年は色々と新しい仕事のお話もあり、
さらに幅広い事業を展開していきたいと思います。
ここまでは前置きではありますが、
「大衆権威」という事に繋がってくる話です。
現在、
あらゆるジャンルを超えた、
横断的、立体的な知識、経験、企て、
そのようなものが必要な時代になっています。
例えば芸術の専門家だから芸術ではなく、
芸術、経済、政治、文化、科学、
あらゆるものを横断的、立体的に、
インプット、アウトプットする能力が必要な時代です。
この様な社会的基礎の変革は、
そのジャンルに限られた権威や利権などを、
崩壊させる事になります。
この様な変革から産まれる事象とは具体的に、
どんな変革が産まれるのか、
それは既得権益者、
体制者などの、
エスタブリッシュメントの崩壊です。
その事象を端的に表出したのが、
アメリカ大統領選挙ですが、
これは伝統的に言われる、
ポピュリズムとはかなり性質の違うものです。
それはある意味、
現代の民衆は馬鹿では無く、
非常に合理的で賢明な人々だからです。
僕は芸術を専門としていますが、
芸術のプロパーではありません。
その様な視点から私が観る芸術の専門家は、
非常に視野が狭く、
横断的、立体的な視野を持っていません。
そこから考えるに、
実は専門家以外の人間に、
今後様々な可能性が産まれるという事です。
僕が芸術界で強いのは、
芸術のプロパーでは無いので、
権威も利権もまったく無関係な所です。
それはある種、
インディペンデントであるという事。
私が芸術のプロパーではないから、
芸術という世界で、
縦横無尽に駆け抜け、
好きな事を言っていられるのですね。
すなわち現代の民衆は、
権威や利権と無関係であり、
さらに合理的で賢明な人々です。
それらの人々が、
本当の意味で活躍できる社会になった。
その様に理解できます。
また2016年の言葉として話題になった、
「ポスト真実」ですが、
僕はこの「ポスト真実」を、
ポジティブに受け止めています。
それは民衆が馬鹿では無いからです。
むしろ、
学問的や科学的な合理性を超えた賢明な真実。
それこそが、
「ポスト真実」だと考えるからです。
この「ポスト真実」を、
ポジティブに受け止めようとした時、
人間の姿勢とは、
「真実」はそもそも存在し無いという立脚から、
物語が始まっているのです。
世界の真理とは「真実が無い」事が真理なのです。
今までの真実は、
権威や資本家などのエスタブリッシュメントが、
創造してきたわけですが、
その上でこの「ポスト真実」は、
本当の意味での民主主義であるとともに、
民衆一人一人が権威者である事を、
衝撃的に伝えています。
すなわち、
私たちの様なものが、
コミュニケーションプラットホームを運営する。
その様な事は、
一昔前では考えれなかった事です。
今までの時代は「専門」「資本」「権威」、
その様な時代でした。
しかしこれからは、
「専門」「資本」「権威」が無い、
そして無縁な民衆の時代になります。
それは民衆が、
「専門」「資本」「権威」が無いからこそ、
横断的、立体的に、
縦横無尽に駆け抜ける事ができる存在だからです。
普通の民衆が、
「大衆権威」を獲得した、
革命的時代に突入したのです。
美学者母