No.196

哲学者大和の展覧会は
本人にとってのホメオスタシス

text : mama(美学者母)
2017年1月24日(火曜日
)執筆

 

【オムニアート】 癌 -生の本質構造と刹那的体験|哲学者大和 ギャラリー白

http://machromatic.net/column_y_0004.html

 

さて昨年行われた哲学者大和の初の個展ですが、
それから半年以上が経とうとした今、
新たにこの展覧会の模様などを素材にした、
映像作品がリリースされました。

哲学者大和の個展はオムニアートと名打って、
インターネット世界と、 現実世界、
情報空間と、物理空間、
そういった別次元を行き来する事を、
展覧会企画当初から企てていました。

まず展覧会の告知として、
インターネットのWEBで、
展覧会場で流すナレーションを公開し、
前もって展覧会の一部を、
インターネット上で体験できるよう企てました。

そして、
展覧会場としての、
現実世界、物理空間では、
哲学者大和の告別式を模した、
インスタレーションを展開し、
展覧会の来場者は必然と、
哲学者大和の告別式参列者となる、
そのような企てを行っています。

さらに、
展覧会半年後の翌年1月に、
映像作品として、
この展覧会の模様を素材とし、
YouTube及びWEBで、
公開するという形になっています。

すなわちオムニアート、
インターネット世界と現実世界、
情報世界と物理世界を、
縦横無尽に行き来するプロジェクト型作品、
その様な作品としても、
またそれぞれの要素が一つの作品でもある、
非常に複雑なフラクタルを形成するに至っています。

今回の哲学者大和の展覧会は、
本質的な原理として、
人間そのもの存在に疑問を呈しています。
私たち人間の特性として、
認識、判断というものが存在しています。
それは一つのボーダーライン、
またはアウトラインを設定する事です。
それはこの展覧会でも提示している、
「オムニアート」 すなわち、
物理空間と情報空間のボーダーです。

しかし本来、
物理空間と情報空間に差異は存在するのでしょうか。
哲学者大和はそこを、
オムニアートとして、
縦横無尽にそのボーダーを、
いとも簡単にバインディングする事に成功しました。

そしてこの展覧会が企てている、
もう一つの大きな提示は、
生と死というボーダーです。
哲学者大和は今回「癌」というものを、
生と死のアウトライン、
またはボーダーとして提示するとともに、
自らが設定した、
「癌」というボーダーに対して、
展覧会の企画をすすめるうちに、
自らのその設定に疑問を持つ様になります。
それはむしろこの展覧会を、
成功させる原理となりました。

それは、
哲学者大和自身が、
生と死というもののボーダーを、
「癌」と設定し、
自問自答のなかから、
「癌」というものが、
本質的に原理的に、
死という大きな想起を起こすものだからこそ、
生という大きなリビドーの原理となり得る。
その様な真理に気づいたからです。

その様な人間の思考にも、
自問自答を繰り返し、
真摯に反省しながら、
常に自分の思考さえもが、
生き死にしているという体験をしたのだと考えます。

この様な経験を踏まえ、
この展覧会のナレーションでは、
細胞死(アポトーシス)を援用し、
自らの告別式のナレーションの内容としています。

今回の哲学者大和の展覧会は、
物理空間と情報空間、
思考の反省、
生と死、
またインタラクティブアート、
その様なあらゆるボーダーを無効化する事に成功し、
それらを哲学者大和という芸術家が、
一本の思考で串刺しにして、
上手く社会にプレゼンテーションできた、
僕はその様にとても評価しています。

2017年現在、
あらゆるボーダーを無くす、
またはオープンソースにする。
その様なことが叫ばれている世の中ですが、
そのボーダーを無くすことは容易ではありません。
今回そのようなボーダーを、
究極的な生と死というボーダーで提示し、
世界や社会にインパクトを与えられたことは、
現代の世界や社会に、
とても有用で意義のある展覧会、
プロジェクトだったと強く感じています。

哲学者大和には、
これからもっと多くのボーダーをぶっ壊して、
さらに有用で意義ある芸術家になって欲しいと、
考えています。

 

美学者母