価値というものは、
その時代その時代に変化している。
それは科学、学問の発達、
政治体制や経済のしくみ、テクノロジーの発達。
その様な様々な要因で、
様々な価値は変遷していく。
しかし昨今のその様な価値というものの変遷が、
今までとは違う変遷を辿っているように感じた。
それは、
価値というものが、
今まで、
組織やシステム、
環境、アーキテクチャ、
国や、グループ、
その様な大きな枠組みで、
価値創造がなされてきたのであるが、
昨今の世の中を見渡すと、
非常にミクロで、
様々な価値創造が行われている、
その様に強く感じるのです。
私はこの様な考察から、
ある大きな仮説を立てたいと思う。
それは、
量子論、量子力学を人類が発見した為に、
この様なミクロでの価値創造が、
本質的な価値となりうる様になった。
さらにいうと、
古典物理学、相対性理論という、
ある種相対性に原理を求める世界の終焉であり。
相対的価値を打ち破った、
量子力学が原理となる世界が産声を上げた。
これは私の、
量子論美術宣言や、
もしかすると、
美術批評家の松井みどりが言う所の、
マイクロポップにも通づるものである。
現代の世の中を私が分析するに、
今までの相対的価値や相対的存在が、
もうすでに通用しない世の中だと分析するからである。
もっと簡単にいうと「対」という、
モノの見方、認識、理解が無効化されるということ。
具体的な例で示すならば、
「お金」=「価値」
「仕事」=「お金」=「価値」
「人生」=「仕事」=「お金」=「価値」
上記の様な対の世界が無くなるのである。
私たちは、
この様な「対」によって、
意味を見出し、
するべきことを選択し、
価値あることを行動してきたわけである。
しかし、
現代において、
量子論や量子力学が認識されたと同時に、
これは量子論的に解釈しても、
私たちは、
量子的な振る舞いを受け入れなければならない。
言うなれば、
現代の世界には「対」としての、
価値担保は存在しないということである。
それは常々私が言っている事に通ずる。
「根拠無き使命感」である。
つまり根拠が無い、
「対」が無いのである。
私は昔から、
この「根拠の無い欲動」というものに、
大変興味があった。
しかし、
それがどういったものなのかは理解していなかった。
しかし今回この様な仮説を立て、
その「根拠の無い欲動」が、
量子論、量子力学が支配する世界のもの、
その様な仮説を立てるに至ったのです。
「対」とはある意味「因果」であります。
「因果」とは「文脈」でもあります。
その様な世界の終わりを私は実感しています。
今後世界はどの様に進んでいくのかわかりません。
それは実は「因果律の崩壊」の自明なのです。
もしこの世の中が、
「因果」という原理で出来ているのなら、
今後世界はどの様になるか予想がつきます。
この様な締めくくりで、
私の仮説を締めくくらせて頂きます。
美学者母