創造者にとって、
                            
                            絶対的に必要な素養とは、
                            
                            間違いや失敗を恐れ無いという事だ。
						  それはなぜか?
						    
						    それは創造性の原理が、
間違いや失敗そのものにあるからである。						    
						  科学や哲学からは、
						    
						    全く新しい考えやアイデアは生まれない、
						    
						    それは概念的演繹性を原理にしているから、
当然の話なのである。
						   私が言う、
						    
						    新しい考えやアイデアとは、
飛躍を伴うものである限り、
						    
						    概念的文脈からは生まれない、
それがまさに、
						    
						    「誤謬こそ創造性の根幹である」理由なのだ。						    
						  私たちは日常で、
						    
						    今日この一日でいくつの失敗をしただろうか。
改めて数え上げて欲しい。
						   現代に生きる人間は、
失敗をしなくて済む様な社会に生息している。
特に年齢を重ねて来ればなおさらで、
						    
						    子供の頃は、
						    
						    身体中傷だらけになったり、
						    
						    友達と喧嘩したり、
						    
						    ルールを守らなかったり、
						    
						    そうして間違いや失敗を、
						    
						    大人よりは誰もが失敗をしていただろう。
						   私たちは、
						    
						    この失敗の無い世の中、
						    
						    というよりも、
						    
						    失敗を許してもらえない世の中で、
いかに失敗しないで過ごせるか、
プルプル震えながら生きているのである。						    
						  そしてその様な振る舞いが、
						    
						    社会では大人として認識され、
社会性が有る、常識が有る。
そうして大人として認められる。
						   僕はそんなのが大人なら、
一生大人なんかになりたく無ないね。						    
						  そもそも、
						    
						    この世の中をすべて理解し、
						    
						    全能全知な人間なんているわけがない。
						   そして間違いや失敗のない所に成長はない、
さらに間違いや失敗こそ、
						    
						    それまでに自分に、社会に、世界に、
						    
						    無かった価値観や考え方を生み出すのだ。						    
						  僕は学者でも研究者でもない、
						    
						    だから僕の発言には誤謬がたくさんあるだろう。
						    
						    しかしそんなものは糞食らえ。
						    
						    誤謬をなくすためにつじつま合わせする時間があるなら、
新しいものを創造する価値の方が、
限りなく価値が高いと考えているから。						    
僕はそちらに時間を使う。					      
						   私は純然たる創造者である。
						    
						    自分に、社会に、世界に、
無かった価値観や考え方を生み出すのだ。
						   それを実現する一番の近道は、
他人より限りなく数多く間違える事だ、
他人より限りなく数多く失敗する事だ。						    
						  さらにそれを実現するには、						    
						   
						  「限りなく挑戦し続ける事だ」
						   
						   美学者母