えっと、
最近は寒さもピークになり、
布団からなかなか出れず、
布団の中でもがき苦しんでおります、
毎度おなじみ美学者母でございます。
最近よく考えますのが、
「行動力」のある人、
「行動力」のない人、
その違いってなんなんだろうか、
なんて事を考えています。
例えば私は最近、
本格的にYouTubeに動画をアップロードしていまして、
私もYouTubeを本格的になかなかはじめていなかった、
わけなんですね。
まぁいわば自分的にも、
一歩足を踏み出したという感覚はあるわけです。
私などは、
常に新しいことにチャレンジしていこうという、
そういった人間ですが、
それでもやはり二の足を踏んでしまうわけです。
特に私も40歳を超えてくると、
年齢とともに、
精神的にも思考的にも、
ある種保守的になりやすいわけです。
それは年齢を重ねれば、
色んなことがある程度どうなるのか、
という事を、
自分自身の経験を基に、
その答えを決めつけて、
それをやらない理由を見つけるわけです。
私は若い頃から、
そういう大人には絶対なりたくない、
と思って生きてきましたが、
なるほど、
こういう感覚が、
年齢を重ねると襲ってくるのだな、
なんて、
改めて反省しているわけです。
まぁそういったところで、
改めて、
自分がチャレンジする、
つまり新しい事を始めたり、
何かに対してアクションしたり、
その様なエネルギーそのものが、
私のどの様な所から生まれてくるのか、
というものを自己認識することが、
非常に大切なのではないかと、
私は考えているわけです。
そしてそうやってフィードバックしてみると、
常に私を、
「突き動かしているもの」って、
「怒り」なんですね。
「批判」「誹謗中傷」なども含めて、
他人に馬鹿にされたり、
揶揄われたり、
舐められたり、
見下されたり、
そういったネガティブなインプットが、
私自身のアウトプットする、
エネルギーなんですね。
つまり、
私の「行動力」、
私を「突き動かすもの」って
他人のネガティブなエネルギーなんです。
この自分を突き動かすエネルギーって、
人それぞれ違うと思うのですが、
この事を、
自己認識しておくと、
行動力というものを、
効率的に発揮できるんです。
私は、
学歴もなければ、
頭も良くない、
お金もなければ、
人脈もない、
社会や世の中というのは、
そういった事をあからさまに突き付けてきます。
私はその様な事に対する、
反骨精神を、
自分自身のアウトプットの、
根源的なエネルギーにしているわけです。
これっていうのは、
つまり自己肯定感をどこにおいているか、
という事にも繋がってきます。
そうやって他人からネガティブな事を言われても、
自分はその程度の人間だ、
と自分自身で自分の可能性を低く設定していては、
その様な事を言われたところで、
怒りなんて湧いてこないわけです。
「俺はこんなもんじゃない」、
という自己肯定感を途方もなく高く設定すれば、
他人から言われるあらゆる批判を、
自分自身の行動力のエネルギーへと変換できます。
そしてこの様な、
自己肯定感から生まれた怒りの、
行動力のエネルギーは、
結果、
「あえて行動しよう」という行動力ではなく、
「いつの間にか行動している」という、
ホメオスタシス的な行動力として、
日常的な行動として表層してきます。
今までの私の経験で言えば、
他人から行動力があると思われている人間ほど、
「無理して行動していない」、
むしろ、
「無意識に行動してしまっている」。
逆説的に言えば、
あたなが行動力を獲得したいと考えているならば、
あなた自身が、
「無意識に行動してしまっている」、
その事をフィードバックして、
何があなたを、
「突き動かしているのか」、
そのエネルギーを、
自分自身で再認識してみると、
あなたが行動力を取り戻すきっかけになるのでは、
ないでしょうか。
美学者母