No.311

愛犬の命と向き合う事、
己の命と向き合う事。
(命は向き合う事で命が命として機能する)

text : mama(美学者母)
2019年3月27日(水曜日
)執筆

 

最近私事でバタバタしておりまして、
少し疲れているのですが、
その中でも一番気になっているのが、
私の愛犬である、
フレンチブルドックの武蔵の事です。

昨日も昼と夜と、
動物病院を渡り歩きまして、
結局あまりいい方向には、
進展しなかった感じです。

愛犬のフレンチブルドックの武蔵ですが、
現在13歳4ヶ月で、
フレンチブルドックではまぁ長生きしてまして、
色々と体もガタがきてとても心配の毎日です。
自分自身の中では、
去年くらいからある程度心の準備もして、
ある程度割り切って考えるべきところは、
考えていこうと腹をくくっているわけですが、
現実的にやはり、
そこに大切な命があると、
心は穏やかではありません。

 

昨年に4歳離れた姉が44歳で亡くなりまして、
母親も4年程前に亡くしました。

どんどんと大切な命を亡くし、
命とはなんなのだろうか?
とやはり改めて考えるわけです。

しかし私は美学などを研究していますし、
20歳の時に己の命を実験として使う、
その様に心に固く決めた、
だからこそ、
この様に言葉を紡いでいくのだ、
その様な上でずっと活動や行動をしています。

 

では「命」とはなんでしょうか?
「人間」という意味よりも、
もっと広い意味を持つ「命」。

例えば人間は少なくとも、
「人格」や「人間としての尊厳」が保障されています。

しかし愛犬武蔵の様に、
「犬」には「命」がありますが、
社会制度上「もの」として扱われるわけです。

家族同然に過ごしてきた「命」が、
「もの」だなんて考える事は出来ません、
しかし社会制度上「もの」であるという現実、
それに対して向き合う事も大切なのだと考えています。

 

この「世界」には、
「命」を宿した「もの」たちが、
数限りなく存在します。

私たち「人間」は、
その尊い命をどう考えていけばいいのでしょうか?
これは非常に難しい問題です。

しかし、
私は愛犬武蔵とともに生きてきた事から、
その「命」に対する「答え」を、
最近気づかせてもらったのです。

少なくとも私は、
「命」というものを懸命に「生きようと」する、
その「命」としっかりと向き合っていく、
それが唯一の答えだと。

少しづつ老化していく愛犬武蔵を、
見ない事にしたい、
体の病気を無い事にしたい、
弱っていく彼から、
できるなら逃げたい。

時にそんな自分の弱さが、
脳裏をよぎるわけです。

私は誓うのです。

彼にいい環境を提供できないかもしれない、
彼に幸せな生活を送らせてあげれなかったかもしれない、
彼に最善の医療を受けさせてあげられないかもしれない、

しかし私は、

愛犬武蔵の「命」と、 しっかり真正面から向き合っていく。

 

それこそが、
「命」が「命」として唯一機能するのだ。

それは「人間」「己」も含めて、
あらゆる「命」に言えるのだと考えています。

動物、植物、人間、己。

「命」は真剣に向き合ってこそ「命」なのだ。

目を逸らさず、
斜に構えず、
真正面からその「命」に向き合う。

 

そうやって、
愛犬武蔵に最後まで寄り添っていきたいです。

 

 

 

美学者母

 

美学者母のスポンサー、サポーターになるにはこちら↓
クラウドファンディングでスポンサー、サポーターになろう↓