No.313

社会制度としての結婚、
プラグマティズム的結婚について。
(愛は形ではなく体験である)

text : mama(美学者母)
2019年4月4日(木曜日
)執筆

 

えっと先日からご報告している通り、
4月1日に私美学者母は哲学者大和と結婚いたしました!!!
パチパチパチ!!!

とは言っても、
形としてはもう何年も前から事実婚ですし、
何が変わるかといえば、
社会制度として結婚という形が明確化した、
それだけなのですwww

私は現在40歳ですが、
哲学者大和とはもう10年以上の付き合いがあり、
くっついたり離れたりは何度かありましたが、
私が20代後半くらいからの間柄です。

そしてここ数年は生活を共にしていまして、
愛の体験のある生活を過ごしており、
これ以上無い幸せを毎日感じているのです。

ですから私自身は、
「愛」というものを「根底」に、
哲学者大和と共に生きているのであって、
それ以上でも以下でも無いわけです。

つまり社会制度上、
どの様な扱いであっても、
哲学者大和と共に生きて生活していくこと、
それがもっとも重要です。

その様なまず「愛」のベースがあって、
その上である種合理的でスマートな形を考えた時に、
社会制度上の結婚という形があった、
私にとって「結婚」とはそれだけのものです。

 

私はプラグマティズム的な考えが強いですので、
この様な思考回路になるわけですが、
昨今の世の中を見渡すと、
結婚に限らず、
あらゆるものの目的の転移が起こっており、
例えば結婚の本来的目的が失われて、
結婚そのものが目的になっている、
その様な状況が多く見られます。

全てのものがプラグマティズムで解決できる、
その様な考えは特に日本においては当てはまらない、
その様な事は十二分に理解しており、
それもまたプラグマティズムであるわけです。

しかし、
プラグマティズム的に生きると、
非常にスマートに生きていける事を実感します。

特に昨今問題になっている、
日本人の生産性の低さなどは、
このある種日本人の美徳である「余白」、
つまり本来目的以外に観る美意識というものが、
どうあるべきなのか問いかけるわけです。

私はこういった日本文化の全否定を、
したいわけではありませんが、
ある種日本の閉塞感というのは、
元々の日本人の日本文化にあるのだ、
という事をまず日本人自らが気づく事が、
非常に大切であり必須の時代だと考えています。

プラグマティズムはアメリカにある種最適化された思想、
その様に考えることができます。

ですからプラグマティズムを盲信する事なく、
日本独自の新たな思想、文化を、
ある種伝統というドグマにとらわれる事なく、
創造していくことが求められているのではないでしょうか。

 

「文化を残す」という行為は、
古く受け継がれてきた文化を、
非効率に保存するという行為では無く、
「破壊と創造」を繰り返す、
つまり、
アポトーシスを繰り返しながら、
ホメオスタシスで連続性を紡いでいくのだ、
その様に考えています。

 

今回私たち美学者母と哲学者大和は、
社会制度上の結婚という形をとりました、
それはある種、

「プラグマティズム的結婚」

であると言えます。

この様に結婚に限らず、
皆様の日常にある概念を、
一度立ち止まって、

「本来的目的は何か?」、

その様な事を考えてみるのも、
とても大切であるので、
一度実践してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

美学者母

 

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