あの最近、
デザイン思考とかアート思考、
そんななんとなくオシャレで、
流行ってる感満載の言葉をよく聞きます。
私はアートや美学を研究していますので、
それらには必ず「思考」が伴いますので、
ある意味「思考」に深く関わっている人間です。
そこで私が実体験として言えるのは、
デザイン思考だアート思考だと言いますが、
そんなもの言われなくても、
思考を重ねればその様な思考を獲得していくし、
それなりの思考の訓練や教養があって、
様々な思考を獲得することができるわけです。
なので、
例えばデザイン思考はこう思考するんだよぉ〜、
例えばアート思考はこう思考するんだよぉ〜、
それで簡単にそんな思考方法を手に入れれば、
過去の哲学者の苦労なんてなんの意味も無く、
ある種その様な哲学者への冒涜とさえ感じます。
そもそも、
表立ってデザイン思考とかアート思考とか、
そんなんでセミナー開いたり、
講習したりしてる人って、
プラグマティズム的でいう「目的の転移」なんだな。
なぜなら、
そもそもデザイン思考やアート思考自体が、
「目的」に対する「問題解決」の方法論であり、
それは、
ロジカル思考と何も変わらないという事、
なぜならば、
私たちは、
「問題解決」する事自体が「目的」では無く、
「目的を達成する事」が「目的」なのだ。
しかし軽々しく、
デザイン思考やアート思考なんていう人たちは、
「デザイン思考が目的」であり、
「アート思考が目的」である。
つまり「問題解決」自体が「目的」なんだが、
しかしそれって必ず、
「目的が変化しない」ことや、
その「目的の前提条件」が変わらない、
というある種、
非現実的な「机上の空論」でしかない。
むしろ、
私的に、
プラグマティズム的に言えば、
そもそもその「目的」自体が間違っている事がある、
そしてその目的は常に変化し流動的である。
だからこそ一番何が必要なのかというと、
そもそも、
「目的に対する問題を問題と認識しない認知」であり、
「目的の変化を真の目的の変化と認識しない認知」。
ここから何が言えるのかというと、
「思考」というものよりも、
いかに「認知」が大切かという事であり、
「認知こそが思考のベース」であるという事。
「認知」という能力がない人間が、
そもそもどんな思考をしたって意味が無いのねwww
つまり、
馬鹿が「デザイン思考」だ「アート思考」だ、
って言って軽々しく思考を持ち出すことに、
軽々しく乗っかってしまう様な認知力しかない人は、
どんな「思考」をしても、
何も「思考も解決も」できない人って事です。
美学者母