No.314

デザイン思考とかアート思考という
言葉の軽々しさ自体が
プラグマティズム的な目的の転移である。
(問題解決よりもその目的を問うべきである。)

text : mama(美学者母)
2019年4月12日(金曜日
)執筆

 

あの最近、
デザイン思考とかアート思考、
そんななんとなくオシャレで、
流行ってる感満載の言葉をよく聞きます。

私はアートや美学を研究していますので、
それらには必ず「思考」が伴いますので、
ある意味「思考」に深く関わっている人間です。

そこで私が実体験として言えるのは、
デザイン思考だアート思考だと言いますが、
そんなもの言われなくても、
思考を重ねればその様な思考を獲得していくし、
それなりの思考の訓練や教養があって、
様々な思考を獲得することができるわけです。

なので、
例えばデザイン思考はこう思考するんだよぉ〜、
例えばアート思考はこう思考するんだよぉ〜、
それで簡単にそんな思考方法を手に入れれば、
過去の哲学者の苦労なんてなんの意味も無く、
ある種その様な哲学者への冒涜とさえ感じます。

 

そもそも、
表立ってデザイン思考とかアート思考とか、
そんなんでセミナー開いたり、
講習したりしてる人って、
プラグマティズム的でいう「目的の転移」なんだな。

なぜなら、
そもそもデザイン思考やアート思考自体が、
「目的」に対する「問題解決」の方法論であり、
それは、 ロジカル思考と何も変わらないという事、
なぜならば、
私たちは、
「問題解決」する事自体が「目的」では無く、
「目的を達成する事」が「目的」なのだ。

 

しかし軽々しく、
デザイン思考やアート思考なんていう人たちは、
「デザイン思考が目的」であり、
「アート思考が目的」である。

つまり「問題解決」自体が「目的」なんだが、
しかしそれって必ず、
「目的が変化しない」ことや、
その「目的の前提条件」が変わらない、
というある種、
非現実的な「机上の空論」でしかない。

むしろ、
私的に、
プラグマティズム的に言えば、
そもそもその「目的」自体が間違っている事がある、
そしてその目的は常に変化し流動的である。

 

だからこそ一番何が必要なのかというと、
そもそも、
「目的に対する問題を問題と認識しない認知」であり、
「目的の変化を真の目的の変化と認識しない認知」。

ここから何が言えるのかというと、
「思考」というものよりも、
いかに「認知」が大切かという事であり、
「認知こそが思考のベース」であるという事。

「認知」という能力がない人間が、
そもそもどんな思考をしたって意味が無いのねwww

つまり、
馬鹿が「デザイン思考」だ「アート思考」だ、
って言って軽々しく思考を持ち出すことに、
軽々しく乗っかってしまう様な認知力しかない人は、
どんな「思考」をしても、
何も「思考も解決も」できない人って事です。

 

 

 

美学者母

 

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