No.316

反抗こそ人間らしさである。
(美学者母の理由なき反抗)

text : mama(美学者母)
2019年5月5日(日曜日
)執筆

 

僕をよく知っている人の中で、
僕が右翼だとか、
右翼的だという人がいるのだけれど、
それは本当だろうか?

そもそも政治的にこの社会を変える、
というそもそも政治に興味が無いし、
政治が現代の社会を、
変える力があるとも考えていない。

例えば現在自民党政権で安倍内閣が続いている、
しかしこれが共産党政権で志位内閣でも、
社会はほとんど変わっていないだろう。

結局誰かが言っていたが、
現在の政治というものは、
日本そのもののあり方を変える、
という類のものでは無く、
ただ単なるヘゲモニー争いなのだから。

それを根本的に表層しているのが、
最近行われた統一地方選挙で、
中核派の女性が選挙で当選したという事実。

この様な政治における自明性、
では実際に社会を変えていっているのは、
政治では無く、
法律的には黒やグレーな事を、
実際にやってのける人々なのだ。

「実力行使」こそ、
まさに社会を変えていくのである。

 

それは例えば、
「winny事件」であったり、
Airbnbであったり、
bitcoinであったり。

 

もはや現在の法律では捉えようの無い、
もしくは違法であるが、
その違法性が私たちにとって不利益である、
その様な事が実際に変革され、
現に社会を変えていっているのである。

法律があって人間がいるのか、
人間があって法律があるのか、
その様な根本的な問題なのである。

人間が自由に平等に、
安全に安心して、
生きていくために法律があるのであって、
法律の為に自由が奪われ、
不平等が発生し、
安全や安心が脅かされているのであれば、
それは法律を破ってでも、
己の正義や善を貫かなければならない。

 

それこそが「反抗」であり、
そもそもの「人間らしさ」なのでは無いだろうか。

 

私は小さい頃から野球をしていて、
高校まで一切の自由を奪われていました。

それはまさに壮絶な体験であり、
その頃の悪夢は今でも脳裏をよぎります。

私のメンタリティは、
その頃の自由を奪われたという体験が、
コアになっているわけです。

それは具体的に言うと、
「自由を奪われていた」ということに対する、
「反抗」であるわけです。

そして高校卒業の18歳から、
「創造者」として「反抗者」として、
現在まで活動してきました。

私を衝き動かす欲動の根本は、
この様な事に対する「怒り」なのです。

一般的にその欲動は、
例えば「お金」であったり、
「地位」「権威」「名声」、
なのだと思います。

しかし私は違います。
私は「怒り」によって衝き動かされ、
ありとあらゆる行動や活動を行なっています。

つまり私にとって自己実現とは、
「お金」を得ることでも無く、
「地位」を得たいわけでも無く、
「権威」を得たいわけでも無く、
「名声」を得たいわけでも無い。

ただ「己の怒り」を沈めたいだけなのです。

この事はある種恐ろしい事なのかもしれません、
なぜなら何も失うものはないからです。

私は反抗や批判というのは、
人間らしさの大きなエレメントだと考えています。

なぜならこの世界の事実には、
「肯定」しかないからです。

それは端的に言えば、
事実として起こったことは、
起こったこととして肯定する他、
方法がないからです。

しかし人間は、
その事実を想像力を使い、
現実という大きな流れに対し、
「反抗」し「批判」する事ができるのです。

それこそがまさに、
「人間らしさ」であり、
「人間」の「自由」であるのです。

ただ大きな流れに任せて、
ただただ流れていく、
ただ現実という事実を受け止め、
それを受け入れていく、
そんな人生に何の意味があるのでしょうか?

苦しくても悲しくても、
その大きな流れに争い、
まぎれもなく訪れる現実を、
力ずくで変えていく、
それこそが「人間らしさ」なのではないか、
私はその様に、
皆様に力強く訴えかけるのです。

 

 

 

 

美学者母

 

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