どもっ美学者母です。
僕自身やっぱりヒップホップに関しては、
色々と言いたくなる訳です。
なぜかと言いますと、
僕自身いわゆる恵まれた環境に産まれた訳でなく、
ヒップホップというカルチャーから、
生き方を学び、
そして実際にスケートボードや、
グラフィティライターとして、
ヒップホップな生き方をしてきた、
一人のヒップホップヘッズだったからです。
前回ラッパーのBASIを批判したのも、
自分自身のその様な体験から、
切実に出てきた言葉です。
そんなダサいBASIのライブを観て、
僕の心を慰めてくれるのは、
やっぱりリアルなものでした。
最近初めてラッパー般若の新しい作品、
「大丈夫」を聞きましたが、
涙が溢れ出してきて、
どうしようもないくらい感動した。
またそのリリックの内容、
韻の踏み方、
ラップテクニック、
全てがヒップホップでした。
特に僕は美学や美術を専門にしているので、
そのリリックにおける、
時間的構造や刹那的構造の構築が、
素晴らしくて、
本当にこの人は素晴らしいと思いました。
少しリリックの中身を考察すると、
過去、現在、未来という時空的プロセスを、
自分自身の経験を元に、
刹那論的に表現されている、
そして、
現在というものが、
過去と未来の間にあり、
むしろ現在という場所にこそ、
過去も未来も含まれた、
刹那的本質がある事に気づかされます。
※添付図表参照
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この般若のリリックで、
「大丈夫」とは誰に向けた言葉でしょうか?
リリックから理解できるのは、
決して他人ではなく、
自分自身に向けた言葉です。
そしてその「大丈夫」という言葉は、
過去に壮絶な体験をしてきた自分であり、
未来に何か成し遂げているのか不安である、
未来の自分でもある訳です。
しかし結局それは現在の自分であり、
過去から見れば、
現在の自分は未来の自分であり、
未来から見れば、
現在の自分は過去の自分であるのです。
この様な事から考察していくと、
「過去や未来も含有した現在の自分」、
それしかそもそも存在しない事に気づきます。
今この刹那に、
「大丈夫」と言える命の存在こそが、
最高の拠り所であり、
それ以上に勇気づけられる存在は、
居ない事に気づくのです。
過去に未来に何があったとしても、
この一瞬、
この刹那、
現に存在している命、
それこそが、
「大丈夫」という言葉そのものを、
体現している。
私も過去に壮絶な体験をしてきました。
今こうやって命がある事が、
自分自身でも「奇跡」だと、
本気で思っているのです。
そして私がこうやって、
この文章を書けている事自体が、
過去の自分や未来の自分に対して、
「大丈夫」と言えている、
まさに般若のリリックを聞いて、
心からそう思ったのです。
だから、
今過去の辛い記憶に苦しんでいる人、
今未来の大きな不安に押し潰されそうな人、
今この瞬間に貴方が存在している事、
それがまさに貴方に「大丈夫」と、
確信に満ちた言葉を贈ってくれているのです。
ぜひ過去や未来の辛さや哀しみ、
大きな不安に押し潰されそうな人たちに、
般若の「大丈夫」をぜひ聴いてほしい。
美学者母