No.333

ラッパー般若の作品「大丈夫」の
リリックにおける時間的構造
(大丈夫と言える刹那に命がある事、
それこそが勝利であると言える)

text : mama(美学者母)
2019年7月18日(木曜日
)執筆

 

どもっ美学者母です。
僕自身やっぱりヒップホップに関しては、
色々と言いたくなる訳です。

なぜかと言いますと、
僕自身いわゆる恵まれた環境に産まれた訳でなく、
ヒップホップというカルチャーから、
生き方を学び、
そして実際にスケートボードや、
グラフィティライターとして、
ヒップホップな生き方をしてきた、
一人のヒップホップヘッズだったからです。

前回ラッパーのBASIを批判したのも、
自分自身のその様な体験から、
切実に出てきた言葉です。

そんなダサいBASIのライブを観て、
僕の心を慰めてくれるのは、
やっぱりリアルなものでした。

最近初めてラッパー般若の新しい作品、
「大丈夫」を聞きましたが、
涙が溢れ出してきて、
どうしようもないくらい感動した。

またそのリリックの内容、
韻の踏み方、
ラップテクニック、
全てがヒップホップでした。

 

特に僕は美学や美術を専門にしているので、
そのリリックにおける、
時間的構造や刹那的構造の構築が、
素晴らしくて、
本当にこの人は素晴らしいと思いました。

 

少しリリックの中身を考察すると、
過去、現在、未来という時空的プロセスを、
自分自身の経験を元に、
刹那論的に表現されている、
そして、
現在というものが、
過去と未来の間にあり、
むしろ現在という場所にこそ、
過去も未来も含まれた、
刹那的本質がある事に気づかされます。

 

※添付図表参照

 

 

 

この般若のリリックで、
「大丈夫」とは誰に向けた言葉でしょうか?

リリックから理解できるのは、
決して他人ではなく、
自分自身に向けた言葉です。

そしてその「大丈夫」という言葉は、
過去に壮絶な体験をしてきた自分であり、
未来に何か成し遂げているのか不安である、
未来の自分でもある訳です。

しかし結局それは現在の自分であり、
過去から見れば、
現在の自分は未来の自分であり、
未来から見れば、
現在の自分は過去の自分であるのです。

この様な事から考察していくと、
「過去や未来も含有した現在の自分」、
それしかそもそも存在しない事に気づきます。

今この刹那に、
「大丈夫」と言える命の存在こそが、
最高の拠り所であり、
それ以上に勇気づけられる存在は、
居ない事に気づくのです。

過去に未来に何があったとしても、
この一瞬、 この刹那、
現に存在している命、
それこそが、
「大丈夫」という言葉そのものを、
体現している。

 

私も過去に壮絶な体験をしてきました。
今こうやって命がある事が、
自分自身でも「奇跡」だと、
本気で思っているのです。

そして私がこうやって、
この文章を書けている事自体が、
過去の自分や未来の自分に対して、
「大丈夫」と言えている、
まさに般若のリリックを聞いて、
心からそう思ったのです。

だから、
今過去の辛い記憶に苦しんでいる人、
今未来の大きな不安に押し潰されそうな人、
今この瞬間に貴方が存在している事、
それがまさに貴方に「大丈夫」と、
確信に満ちた言葉を贈ってくれているのです。

 

ぜひ過去や未来の辛さや哀しみ、
大きな不安に押し潰されそうな人たちに、
般若の「大丈夫」をぜひ聴いてほしい。

 

 

 

 

美学者母

 

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