No.337

右翼的表現には制限をと言うのに、
左翼的表現には表現の自由という
ダブルスタンダード
(今回のあいちトリエンナーレで
表現の自由を訴える人の共通点)

text : mama(美学者母)
2019年8月7日(水曜日
)執筆

 

あ〜拗らせてるねwww
凄い拗らせてるねwww

私の政治思想の変遷を言いますと、
10代20代前半ってのは反体制的な思想で、
その意味でも実際自分自身、
ヴァンダリズムの活動として、
グラフィティライターをしてたわけですから。

 

その上で言ったら、
口だけ左翼の人よりも、
実際に行動して実践してたわけで、
そんな人たちよりも、
よっぽどリアルだと思います。

そして、
20代後半から30代は保守的な思想を持って、
実際に日本会議には会員にもなったし、
ネットでの政治的な発言もしてきました。

 

そして現在はというと、
非常にニュートラルで、
右でも左でもないし、
むしろ政治で世の中が良くなると、
全く考えていないので、
皆さんが熱くなっているのを、
冷ややかに眺めているわけです。

 

では政治では世の中が良くならないなら、
何で世の中を良くしていくのか?
それは「情報空間」だと考えているわけですね。
三次元じゃなくて、
四次元が世の中を良くしていく。
これについては、
また詳しく書かせていただきますが、
三次元空間ではもう限界がきている、
その様に考えているわけです。

 

で今回のあいちトリエンナーレが、
非常に政治色が強くなってきていて、
非常に感情論の応酬になっています。

 

僕は基本的に合理的な事を求めます、
ですから「表現の自由」に関する、
私の考え方は表明しました。

https://www.machromatic.net/column_0336.html

 

なんでもそうですが、
論理的に考える事が可能なことは、
ちゃんと論理的に考えるべきで、
それが右だろうが左だろうが、
基本的な人間の営みなわけです。

 

そして、
正しいことは正しい、
間違っている事は間違っている、
その上で、
間違っていたら、
素直に「ごめんなさい」って、
言おうよってことね。

 

僕もネットでアート関係者と、
色々と繋がっているわけですが、
年寄りのアート関係者って、
どうしても老害左翼が多いわけです。

まぁ時代背景的に仕方がないわけですが、
当然戦後教育があり、
文化的にもロックが全盛で、
ウッドストックがあり、
ヒッピーがあり、
本当に古臭いわけです。

 

まぁ反体制という思想が、
ある種最先端だった時代ですから、
そういった人たちが、
アート関係者として、
老害になっているのは、
十分理解できるわけです。

 

例えば現代はヒップホップの時代です。

そしてヒップホップなどでは、
愛国心を歌う若者が多く、
最近ではロックでもその様な傾向があり、
実際に現代の若者が、
保守的であるのは、
例えば支持政党の調査でも、
若者の多くは自民党支持である事が、
発表されています。

そして、
例えば共産党など、
左翼の政党は老人の支持が多いし、
思想的には良くわかりませんが、
れいわなどは、
支持者のほとんどが老人です。

 

つまり今の若者の間では、
反体制というのは非常に前時代のもの、
という認識が普通で、
ある意味「ダサい」わけです。

 

逆に、
自らが生まれ育った「国」に、
誇りを持ち、
「愛国心」を持つ事が、
最先端の時代である、
それが現実です。

 

つまり老害である左翼の老人が、
若かった頃に、
反体制運動などに魅了された様に、
今の若者は「愛国心」に魅了されているのです。

そして、
その老害たちは、
今もなおそのムーブメントを、
時代錯誤に叫んでいるわけですね。

 

私がなぜ政治に対し、
ニュートラルになったかというと、
結局政治というのは矛盾を抱えているわけです。

 

例えば左翼の人たちは、
今回の「あいちトリエンナーレ」では、
やたらと「表現の自由」を訴える割には、
右翼的な表現には、
いちいち難癖つけるわけですwww

僕のネット上の繋がりで、
今「表現の自由」って訴えている人って、
だいたい右翼的な表現に対して、
難癖つけたり、
否定したりしている人なんですね。

 

つまりダブルスタンダードなんですよwww

 

それは右翼もしかりで、
つまり自分の思想の対局に対しては、
論理的矛盾なんて関係ないわけです。

 

僕は自分が生きていく哲学として、
出来るだけ矛盾を抱えたくないわけです。

それをどう実現するのかってのは、
非常に難しいわけですが、
出来るだけニュートラルに、
とここ最近強く自分を戒めています。

 

自分の感情ってのは、
なかなかコントロールが難しいものです。

ですから何かを判断する時は、
出来るだけ論理的に思考する。
さらに多様性を認める。

自分が判断を間違ったら、
それをフィードバックし、
自分を戒める。

 

今回の「あいちトリエンナーレ2019」でもそうですが、
判断の間違いというのは誰にでもありますし、
失敗をして人間は成長していくのだと考えています。

 

もう一度冷静に考えて、
「公共」とは何か?
「表現の自由」とは何か?
今回の展覧会に公共性があったのか?

 

その様な事を考えて欲しいのです。

そしてもし自分自身が間違いに気づいた時に、
自分自身をゴマカさず。

素直に反省すれば、
また新しい自分に出会えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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