どもっ美学者母です!!!
一応僕もアーティストという事で活動しているので、
例えば初めて出会った人に、
どんな作品を作ってるんですかとか、
作品を観せてくださいとか、
まぁよく言われるわけなんですが、
なかなかそれが難しいわけです。
だいたいそういった質問の前提条件として、
既存のアートや美術というものを、
前提に皆さん言ってこられるのだと思います。
しかし私くし美学者母の美術作品は、
そもそも既存のアートや美術というもの、
例えば絵画や彫刻、
また最先端のオブジェやインスタレーション、
そんなものすっ飛ばしているので、
そもそも理解不能なものなわけです。
ただそれは皆さんが思い込んでいる、
美術やアートというものを前提にすれば、
理解不能であり、
とても美術やアートとは言えない、
という事であり、
私の作っているものの構造を理解していただければ、
皆さんの中でアートや美術とは理解できないが、
言っていることは理解していただける。
その様に考えているわけですね。
つまりどうしても、
アートや美術というフィルターをあらかじめ、
前提にしていると、
なかなか僕の作品の本質というものが、
観えてこないわけです。
今回私自身、
美学者母の作品の本質というものを、
理解していただきたいという事で、
出来るだけ簡単にその構造などを、
言説していこうと思います。
まず美学者母の美術作品というのは、
非常に複雑な構成要件で産み出されます。
その複雑という意味は、
既存のアートや美術とは全く違う、
という事で複雑という事です。
まずその構成要件は、
インターネットに接続されたデバイス、
そのディスプレイを中心に、
作品は構成されており、
今皆さんがどこかでこの文章を読んでいる、
当然ディスプレイ越しに、
まさにその状態、
それが構成要件の要素になります。
既存のアートや美術でのキャンバス、
という役割を成すのが、
美学者母の美術作品では、
ディスプレイになります。
次に既存のアートや美術ではキャンバスに、
何かしらの線や面、色などが造形され、
それが作品となるわけですが、
美学者母の美術作品では、
インターネット上の美学者母の、
様々な情報、
例えば顔写真、文章、画像など、
インターネット上にカオスに散乱している、
美学者母の情報が、
そのキャンバスを構成する線や面、色と、
なるわけです。
そして既存のアートや美術では、
キャンバスに描かれた、
線や面、色も含めて、
何かしらの意味や無意味を生成し、
作品としてゲシュタルトされます。
その作品としてのゲシュタルトは、
美学者母の美術作品では、
一人一人の、
人間の中に創造される、
美学者母というある種のイメージ、
インターネット上にある、
美学者母という情報のゲシュタルト、
そのゲシュタルトされたものを、
作品として定義しています。
つまりもっと簡単に言えば、
ある種インターネットを通して皆様が抱く、
私、美学者母というイメージ自体が、
私、美学者母というアーティストの、
美術作品であるのです。
この美学者母の美術作品は、
10年以上前に、
「ウェブアート宣言」として発表しました。
それは、
シミュレーショニズムから、
現代のフェイクニュースやポスト真実、
などの思想を通して、
プラグマティズムという、
ある種の世相というものを、
非常に鋭く表層化している、
私はその様に強く感じています。
今回の言説でも、
なかなか説明しきれない部分が多く、
とても歯痒いのですが、
出来るだけ理解していただける方を増やしたいので、
今後も丁寧に言説を続けていきます。
美学者母