No.359

野球、ストリートカルチャ、
大手企業サラリーマン、最先端アーティスト、
それらを横断的に経験してきた私だから言える
ダイバーシティ論。
(社会や他者の多様性を認めるには、
まず自分が多様でなければならない。)

text : mama(美学者母)
2020年2月4日(火曜日
)執筆

 

昨今ダイバーシティだなんだと言われていまして、
多様である事をポジティブに考え、
それを生かして、
より良い方向に進んでいこう!!!
なんてよく聞くわけです。

しかしダイバーシティだなんだって、
よく言っている人間ほど、
自分自身に多様性は無くて、
一つの世界観の中で生きていたりするわけです。

そもそもその様な人間が、
本質的に本当に、
社会や他者の多様性を認めていく事が、
可能であるとは私は思えないわけです。

なぜなら、
その様な人間にとってのダイバーシティ、
つまり多様性というものは、
あくまで観念的であり理想でしかないのです。

そして現実は、
一つの世界観だけを信じて、
自分自身に対する多様性というものを、
全く認めていないわけです。

ですからそもそも自分自身に対して、
多様性を認めていないわけですから、
その様な人間が、
本質的に社会や他人の多様性を、
認めるわけがなく、
それはそれらの人間にとって、
観念的理想でしかありません。

この様なことから理解できるのは、
真に多様な社会や他人を認め、
ダイバーシティを実現するには、
まず自分自身に対する多様性を認め、
一つの世界観だけに真理を求めず、
多様な世界観にある自分の可能性を信じ、
実際に実践していく事こそが、
真にダイバーシティを実現させるのです。

 

ではどの様にしてそれを可能にしていけるでしょうか。
一つの世界観だけを信じない事です。
それは他者を理解する事や認める事、
それに繋がってくるわけですが、
まずその一つの世界観という思い込みを、
全て捨て去る事が必要です。

それは同時に自分自身が定義される世界、
という事にも同時に言えるのです。

それは私たち人間は、
かなりの強い思い込みによって、
自分自身をある一つの「人生」という枠に、
無意識に自分自身で自分を限定しているのです。

ここで重要なのは、
自分自身が自分を限定しているという事です。
つまり逆説的に言えば、
自分自身のあらゆる可能性は、
自分自身によって広げる事ができるという事です。

私は実際にこの事に18歳の時点で気づいて、
自分自身のあらゆる可能性を否定しませんでした。
それは私の経歴からも理解できると思います。
参考までに私の人生の変遷を述べていきます。

 

私は小さい頃から本格的に野球をしており、
小学生の頃から岸和田リトルリーグというチームで、
硬式野球をしていました、
中学生では岸和田シニアリーグ、
高校では野球留学を経験しました。

その後野球をきっぱりと辞めて、
大手企業に入社し、
その後化学に興味を持ち、
最終的には大手化学メーカーの、
研究所で働いていました。

大手企業で働きながらも、
ストリートカルチャーに興味を持ち、
グラフィティライターやスケートボード、
そんな事もしていました。

それらと同時並行的に、
18歳からアート活動も始め、
20代前半に、
スケートボードショップで、
初めての個展をしています。

さらに現在では、
狭山美学校という事業なども始め、
インターネットを使った、
最先端アートを展開しているというのが、
現在までの流れです。

もう本当に捉えどころがない経歴なのですが、
一般社会から裏社会、
カウンターカルチャからハイカルチャ、
それらを実際に当事者として経験してきています。

 

まさに私は自分自身の可能性を、
全く限定しませんし、
むしろどの様な事も可能であると信じています。

この様に、
社会や他人のダイバーシティや多様性を認めるという事は、
まず自分自身の多様性や可能性を限定しない、
その様な態度が絶対的に必要であると考えています。

それは真理として、
人間のあるべき姿というものを限定しない、
もう少し言うと、
絶対的な善というものを認めないと言う事です。

 

 

 

 

美学者母

 

 

 

美学者母のスポンサー、サポーターになるにはこちら↓
クラウドファンディングでスポンサー、サポーターになろう↓