昨今ダイバーシティだなんだと言われていまして、
多様である事をポジティブに考え、
それを生かして、
より良い方向に進んでいこう!!!
なんてよく聞くわけです。
しかしダイバーシティだなんだって、
よく言っている人間ほど、
自分自身に多様性は無くて、
一つの世界観の中で生きていたりするわけです。
そもそもその様な人間が、
本質的に本当に、
社会や他者の多様性を認めていく事が、
可能であるとは私は思えないわけです。
なぜなら、
その様な人間にとってのダイバーシティ、
つまり多様性というものは、
あくまで観念的であり理想でしかないのです。
そして現実は、
一つの世界観だけを信じて、
自分自身に対する多様性というものを、
全く認めていないわけです。
ですからそもそも自分自身に対して、
多様性を認めていないわけですから、
その様な人間が、
本質的に社会や他人の多様性を、
認めるわけがなく、
それはそれらの人間にとって、
観念的理想でしかありません。
この様なことから理解できるのは、
真に多様な社会や他人を認め、
ダイバーシティを実現するには、
まず自分自身に対する多様性を認め、
一つの世界観だけに真理を求めず、
多様な世界観にある自分の可能性を信じ、
実際に実践していく事こそが、
真にダイバーシティを実現させるのです。
ではどの様にしてそれを可能にしていけるでしょうか。
一つの世界観だけを信じない事です。
それは他者を理解する事や認める事、
それに繋がってくるわけですが、
まずその一つの世界観という思い込みを、
全て捨て去る事が必要です。
それは同時に自分自身が定義される世界、
という事にも同時に言えるのです。
それは私たち人間は、
かなりの強い思い込みによって、
自分自身をある一つの「人生」という枠に、
無意識に自分自身で自分を限定しているのです。
ここで重要なのは、
自分自身が自分を限定しているという事です。
つまり逆説的に言えば、
自分自身のあらゆる可能性は、
自分自身によって広げる事ができるという事です。
私は実際にこの事に18歳の時点で気づいて、
自分自身のあらゆる可能性を否定しませんでした。
それは私の経歴からも理解できると思います。
参考までに私の人生の変遷を述べていきます。
私は小さい頃から本格的に野球をしており、
小学生の頃から岸和田リトルリーグというチームで、
硬式野球をしていました、
中学生では岸和田シニアリーグ、
高校では野球留学を経験しました。
その後野球をきっぱりと辞めて、
大手企業に入社し、
その後化学に興味を持ち、
最終的には大手化学メーカーの、
研究所で働いていました。
大手企業で働きながらも、
ストリートカルチャーに興味を持ち、
グラフィティライターやスケートボード、
そんな事もしていました。
それらと同時並行的に、
18歳からアート活動も始め、
20代前半に、
スケートボードショップで、
初めての個展をしています。
さらに現在では、
狭山美学校という事業なども始め、
インターネットを使った、
最先端アートを展開しているというのが、
現在までの流れです。
もう本当に捉えどころがない経歴なのですが、
一般社会から裏社会、
カウンターカルチャからハイカルチャ、
それらを実際に当事者として経験してきています。
まさに私は自分自身の可能性を、
全く限定しませんし、
むしろどの様な事も可能であると信じています。
この様に、
社会や他人のダイバーシティや多様性を認めるという事は、
まず自分自身の多様性や可能性を限定しない、
その様な態度が絶対的に必要であると考えています。
それは真理として、
人間のあるべき姿というものを限定しない、
もう少し言うと、
絶対的な善というものを認めないと言う事です。
美学者母