僕はまさにストリートで育った人間です。
ストリートでは誰よりも早く行動したものが勝ちです。
これは非常に明快であり、
また非常に公平な評価であるのです。
その人間の生まれも学歴も関係ない、
その人間が好かれている嫌われているも関係ない、
政治も資本力も関係ない、
ただただそれを真っ先に「発見」し「行動」する。
それが唯一の評価の基準であり、
それはリスペクトの対象として観られる。
ストリートでは行動力こそが必要であり、
その行動力に必要な根本的原理が「勇気」なのです。
世の中には沢山のアイデアを持った人間が、
数えられないほど沢山います。
しかし現実的にそのアイデアのほとんどは、
可視化する事なく、
どんどんと消え去っていくのです。
それはなぜか?
その答えは簡単です。
行動に移さないからです。
移さない?ではないですね、
移せないのです。
まず前述した様に、
行動力の根本原理は「勇気」が必要だと、
そう書きました。
まず一番大きな壁として、
そのほとんどの人々が、
行動に移す「勇気」が無いのです。
どんなことでも、
誰もまだ行動していない事を、
現実的に行動に移すという事は、
かなり大きな勇気を必要とします。
この時点で、
そのほとんどのアイデアは消え去ります。
しかし次に大きな問題が訪れます。
自分のアイデアを実現しようと、
勇気を振り絞って行動に移そうとします。
しかしそのほとんどが、
「身体性」を伴わない、
「頭で考えた」机上の空論のアイデアであるので、
現実的にそれを行動する前提条件が無いのです。
そしてそのほとんどの人々は、
この過程を経て99.999%の人々が、
消え去っていきます。
これは私が41年間生きてきて、
実際に見てきた現実です。
実はほぼ全ての人々は、
自分自身が置かれている現実を生きず、
夢想や空論という中を生き、
それが自分の現実だと勘違いして生きているのです。
この様な勘違いしている人間は、
自分自身の人生や立ち位置は無い事にして、
夢想や空論を平気で自分の考えとして言えるのです。
それはSNSなどで常に目にします。
この様な人々は、
そもそも自分の考えを行動に移す事は出来ないのです。
それはなぜか?
先ほども言いましたが、
そのアイデアはそもそも身体性を伴っていない、
つまり行動する前提条件が無いのですから、
行動できるわけがないのです。
この様な人々は、
芸術、美術、ビジネス、政治、宗教、
この世の中に幅広く存在します。
例えば分かりやすく政治の世界で言えば、
日本共産党や日本共産党員はまさにそれにあたります。
自分たちは資本主義の民主主義国家に存在している、
その様な前提条件を無い事にしなければ、
そもそも共産党という政治思想が、
その資本主義の民主主義国家に内包されている、
という現実で大きな矛盾を生み、
そもそも存在自体ができないわけです。
それを無い事にしているから、
日本共産党は存在し得るのであって、
それはまさに親に保護してもらっている子供が、
親に反抗しているが、
自分がいかに親に保護してもらっているのか、
気づけないのと同じ状態なわけです。
この様な状況は、
例えば、
学問の為の学問、
哲学の為の哲学、
芸術の為の芸術、
などでも通底している問題です。
この様なことから私が何を言いたいのか、
というと、
全ては自分自身の人生や立ち位置、
というものから考え始めなければならない、
という至極当たり前のことなのです。
私はストリートの世界で、
18歳の時にこれを学び実践してきました。
「やった者勝ちの世界」、
一見聞くと容易い世界の様に思えますが、
実は非常に厳しく残酷で、
ドラスティックに勝ち負けが決まる世界です。
そしてその世界は、
自分自身の等身大、
つまりリアルな自分、
もっというと身体性の伴った思考により、
自分たちの置かれた状況や境遇に、
真正面から向き合い、
その少ないリソースを使って、
最大限のパフォーマンスを実現する。
つまり行動していく、
という事が評価され、
さらにその事がリスペクトされる世界なのです。
この様なストリートカルチャーは、
まさにプラグマティズム的であり、
またそれらの文化は、
アメリカ西海岸などから生まれてきた、
その事は非常に重要なエレメントです。
現在の日本の経済は斜陽の時代に入っています。
そして現在の世界的に時価総額が大きい企業は、
アメリカに集中してきています。
私はこの日本の斜陽の時代の、
大きな原因として、
ここまで述べてきた様な、
身体性を伴わない夢想や空論が、
大きな原因であると考えています。
これからの時代、
まさに身体性を伴った思考が重要であり、
DIY精神、プラグマティズム、
それらを実践していかなければならないのだと、
改めて強く認識するのです。
美学者母