No.363

18歳で己の人生を実験にすると決意した。
(己の人生を実験にするとは如何なることか)

text : mama(美学者母)
2020年3月6日(金曜日
)執筆

 

 

18歳の僕はふと考えた。
僕は18歳まで、
自分の人生を、
自分で客観的に観た事がなかった。

僕は小学校から高校まで、
野球一筋で生きていた。
野球を始めたきっかけも、
親が熱狂的な阪神ファンの野球好き、
そして自分の子供をプロ野球選手にさせたい。
その様な親の考えで、
岸和田リトルリーグに入団させられた。
そしてそのまま、
中学では岸和田シニアリーグ、
高校は甲子園出場実績もあり、
ベスト8まで行った事のある、
鳥取県の倉吉北高校へ野球留学。
ただひたすら野球に集中し、
その上で自然に時間は過ぎていき、
ただ無心にその人生の中に没入し、
無思考に高校を卒業していた。

 

僕は1978年生まれ、
当時僕が高校を卒業した頃は、
いわゆる就職氷河期時代。
しかし僕は、
自分の意志は何もなく、
勝手に大手の製鉄メーカーに逆指名という形で、
もう高校3年の秋には、
就職も勝手に決まっていた。

そして会社に入って、
当時は新入社員教育が3ヶ月もあった。
それが終わり配属。
そしてさらに3ヶ月後には、
会社を辞めていた。

辞めた理由は、
職場にいる定年前のおっさんを観て、
自分がこの先辿るであろう人生が、
そのおっさんを通して、
全て観えてしまったのだ。

僕は新卒入社をした会社を辞めてから、
自分の人生を実験台にする事を決意した。

「自分の人生はもう自分のものではない」

そう心に強く決意したのが18歳のことである。

僕は自分の人生を自分のもの、
つまり自分の為に、
それは欲や、楽しみ、喜び、幸せ。
その逆の忍耐、我慢、苦しみ、悲しみ。
その様なものを、
自分自身に没入し、
自分自身だけのものとして、
自分だけの体験とする事を辞めた。

それはどういうことか。

それは常に自分自身に徹底的な客観性、
つまりメタ認知、
または超越論的視点で、
常に生きていくということである。

僕は常に自分自身を客観的に認知し、
その都度自分自身を検証し、
それをフィードバックし、
そして新たな問題を発見する。
その様な人生を送っている。

 

この様な実験を10年程度続けたある時、
私が30歳の時に圧倒的な体験を経験しました。
それは仏教でいう「悟り」という体験です。
その頃から僕は、
意識と無意識というものを自由に行き来する、
その様な能力を手に入れている事に気づきました。

 

私が前述した小学校から高校まで野球を、
集中してやっていた期間というのは。
ある意味「無意識」で生きていた。
そしてその後、
自分自身の人生を実験台にする。
その様に決意した後は、
ある意味「意識」で生きていた。

そしてある時から、
「意識」と「無意識」を自由に、
行き来する事が出来る様になったのです。

私は18歳の時、
自分自身が「無意識」に生きている事を後悔し、
徹底的に「意識」に生きる事を実践した。
それがここで述べている、
自分自身の人生を「実験台」にする事を決意した。
この事の深い動機は、
「自由」を手に入れたいと考えたからです。

そして「自由」を手に入れるにはどうしたらいいのか。

それは「人間とは何か」、
「生きるとは何か」、
「死ぬとは何か」、
その様な根本的な原理や真理を、
意識上に想起させ、
真摯に向かい合い、
その事をとことんまで思考する事です。

私は知らず知らずのうちに、
30歳まで「真理」を追求し、
「悟り」の境地を体験する「修行」を、
「無意識に生きる」ことと「意識に生きる」。
この二つを実践することで行なっていたのです。
そして「悟り」を体験する事で、
「意識」と「無意識」を、
自由に行き来する術を会得している事に気づきました。

これは具体的に、
世界のあらゆるものの、
見方、見え方、
それらを自由にコントロールする術でもあるのです。

 

ここまで私が述べていることは、
特別でも無く、
珍しいことでも無いと考えています。
それは誰の人生にも、
私と同じ様な境遇はあるからです。
その様なあらゆる境遇を、
どの様に考え、
そして自分自身の人生に生かしていくのか。

それだけの違いなのだと考えています。

この文章が、
皆様の人生において、
何かしらの気づきになれば幸いです。

 

 

 

美学者母

 

 

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