18歳の僕はふと考えた。
僕は18歳まで、
自分の人生を、
自分で客観的に観た事がなかった。
僕は小学校から高校まで、
野球一筋で生きていた。
野球を始めたきっかけも、
親が熱狂的な阪神ファンの野球好き、
そして自分の子供をプロ野球選手にさせたい。
その様な親の考えで、
岸和田リトルリーグに入団させられた。
そしてそのまま、
中学では岸和田シニアリーグ、
高校は甲子園出場実績もあり、
ベスト8まで行った事のある、
鳥取県の倉吉北高校へ野球留学。
ただひたすら野球に集中し、
その上で自然に時間は過ぎていき、
ただ無心にその人生の中に没入し、
無思考に高校を卒業していた。
僕は1978年生まれ、
当時僕が高校を卒業した頃は、
いわゆる就職氷河期時代。
しかし僕は、
自分の意志は何もなく、
勝手に大手の製鉄メーカーに逆指名という形で、
もう高校3年の秋には、
就職も勝手に決まっていた。
そして会社に入って、
当時は新入社員教育が3ヶ月もあった。
それが終わり配属。
そしてさらに3ヶ月後には、
会社を辞めていた。
辞めた理由は、
職場にいる定年前のおっさんを観て、
自分がこの先辿るであろう人生が、
そのおっさんを通して、
全て観えてしまったのだ。
僕は新卒入社をした会社を辞めてから、
自分の人生を実験台にする事を決意した。
「自分の人生はもう自分のものではない」
そう心に強く決意したのが18歳のことである。
僕は自分の人生を自分のもの、
つまり自分の為に、
それは欲や、楽しみ、喜び、幸せ。
その逆の忍耐、我慢、苦しみ、悲しみ。
その様なものを、
自分自身に没入し、
自分自身だけのものとして、
自分だけの体験とする事を辞めた。
それはどういうことか。
それは常に自分自身に徹底的な客観性、
つまりメタ認知、
または超越論的視点で、
常に生きていくということである。
僕は常に自分自身を客観的に認知し、
その都度自分自身を検証し、
それをフィードバックし、
そして新たな問題を発見する。
その様な人生を送っている。
この様な実験を10年程度続けたある時、
私が30歳の時に圧倒的な体験を経験しました。
それは仏教でいう「悟り」という体験です。
その頃から僕は、
意識と無意識というものを自由に行き来する、
その様な能力を手に入れている事に気づきました。
私が前述した小学校から高校まで野球を、
集中してやっていた期間というのは。
ある意味「無意識」で生きていた。
そしてその後、
自分自身の人生を実験台にする。
その様に決意した後は、
ある意味「意識」で生きていた。
そしてある時から、
「意識」と「無意識」を自由に、
行き来する事が出来る様になったのです。
私は18歳の時、
自分自身が「無意識」に生きている事を後悔し、
徹底的に「意識」に生きる事を実践した。
それがここで述べている、
自分自身の人生を「実験台」にする事を決意した。
この事の深い動機は、
「自由」を手に入れたいと考えたからです。
そして「自由」を手に入れるにはどうしたらいいのか。
それは「人間とは何か」、
「生きるとは何か」、
「死ぬとは何か」、
その様な根本的な原理や真理を、
意識上に想起させ、
真摯に向かい合い、
その事をとことんまで思考する事です。
私は知らず知らずのうちに、
30歳まで「真理」を追求し、
「悟り」の境地を体験する「修行」を、
「無意識に生きる」ことと「意識に生きる」。
この二つを実践することで行なっていたのです。
そして「悟り」を体験する事で、
「意識」と「無意識」を、
自由に行き来する術を会得している事に気づきました。
これは具体的に、
世界のあらゆるものの、
見方、見え方、
それらを自由にコントロールする術でもあるのです。
ここまで私が述べていることは、
特別でも無く、
珍しいことでも無いと考えています。
それは誰の人生にも、
私と同じ様な境遇はあるからです。
その様なあらゆる境遇を、
どの様に考え、
そして自分自身の人生に生かしていくのか。
それだけの違いなのだと考えています。
この文章が、
皆様の人生において、
何かしらの気づきになれば幸いです。
美学者母