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No.374

コロナ禍で急にマスクを売り出す人間は
信用できない理由。
(コロナ対策での出口戦略はなぜ必要か)

text : mama(美学者母)
2020年5月6日(水曜日
)執筆

 

 

例えば大阪・西成にいる日雇い労働者のおっさんは、
「お金」の「儲け方」について拘る人間が多い。

日雇いでその日のご飯代もギリギリ、
住んでいるのはブルーシートの青テント。
それでも「お金」の「儲け方」に拘る。

今インターネットや街中で、
自分の本業を差し置いて、
急に「マスク」を売り出している人間を多く見る。

皆様の周りにもそうした人間が、
或いはこの文章を読んでいる貴方自身が、
そうした人間なのかもしれない。

私はそういう人間に嫌悪感しか抱かないし、
その人間が「売っている」もの、
それは「マスク」だけでなく、
その「人間」の本業のサービスやもの、
それらさえ、
その人から「買いたい」とは思わない。

これは完全な私の個人的意見である。

私以外の人間がどう考えるかは自由だし、
その人間から「マスク」を買うのも自由だ。

 

例えば私は「芸術」や「美術」を専門にし、
その作品である「狭山美学校」という業で、
「お金」を「儲ける」というのは。
そもそも「お金」が目的では無い。
なぜなら「お金」だけが目的なら、
他にいくらでも「簡単」に「儲ける」方法は、
無数にあるし。
実際に私は東証一部上場の大企業(平均年収800万円)、
の企業を渡り歩いてきた。

私は「芸術」や「美術」を「愛している」から、
「狭山美学校」という業であり作品を、
展開しているのであって。
決して「お金」を「儲ける」為に、
「狭山美学校」という業や作品を、
展開しているわけでは無い。

これは私に限らず、
個人事業主や自営業を自ら立ち上げた人間、
会社を立ち上げる人間は、
皆同じ思いでそれを立ち上げるのではないか。

そしてそれがサスティナブルに続く原理とは、
その「愛」を決して忘れず、
「哲学」を持って運営してく事である。

当然この様な「コロナ禍」の状況の中で、
売り上げも激減し、
その様な「哲学」をも放棄し、
目先の「金儲け」に走るという、
その様な「流れ」は容易に想像できる。

しかし逆に長い目で見れば、
この様な状況だからこそ、
その「哲学」が表面化し、
それぞれの「本質」や「本性」が、
垣間見れるのである。

人間というのは、
常に「簡単」で「容易」な事へと、
吸い込まれていくのである。

そして人間というものは、
私も含めて本当に「弱く」「脆い」。

だからこそ、
目先の「お金」に目が眩んで、
「マスク」を販売するという、
手段を選ばない「お金儲け」を行うのである。

そもそも元から「マスク」を販売している、
ドラッグストアやホームセンターは無数にあるし。
さらにこの日本にある「マスク」の絶対量は、
ある程度決まっているわけで。
今マスクが店頭にないのは、
まず普段の流通システムでは、
店頭に「マスク」が並ぶが、
現在の回転率とは合致していない。

さらに「マスク」を買い占めて転売する人間がいる。
その買い占めたものを、
今ままで「マスク」を販売していなかった人間が、
仕入れて販売する。
この様な「悪循環」が、
また人間の「お金」への執着心の表れが、
「マスク」は大量にあるのに、
「マスク不足」となっているメカニズムである。

 

さらにこの様な、
「悪循環」や「お金」への執着心が生み出した、
負の連鎖の隙間で、
自分でマスクを作って売るという事をしている、
その様な人間もいる。

私はこの様な「悪循環」や「執着」から生まれた、
「負の需要」に対して、
自分がコミットするという気は起こらない。

私は「芸術」や「美術」を専門としているが、
一人の個人事業主であり商売もしている。
その上で重要なものの一つとして、
近江商人の三方よし、

 

「売り手よし、買い手よし、世間よし」

 

こそ最も重要であると認識している。

少なくともどの様な形でも、
コロナ禍以降に急に「マスク」を売り出した人間は、
「売り手よし」しか成立していないのは確かである。

それはそもそもこの混乱の中で、
「マスク」というものを販売する事自体が、
あらゆる有機的動的平衡を崩すのである。

それは、

「作るべき人が作り」
「売るべき値段で」
「売るべき人が」
「買うべき人へ」

 

という適切なビジネスの流れが、
現在完全に阻害されているのである。

この様な流れの中で、
「シャープ」が「マスク」を製造しだしたのには、
「シャープ」は終わったなと完全に思った。
また自社サイトで販売をはじめて、
アクセス集中でサーバーがダウン。
もっと分散して市場に流せば、
もっと円滑に流通するのに、
「シャープ」の「自社サイト」だけの販売。

これこそ「丸儲け」したい「執着」そのものである。

 

上記の様にここまで、
「マスク」を急に販売しだす事への、
私の持論を展開してきたわけだが。

これら「マスク」も含めて、
今回の「コロナ禍」の一番の問題は、
「人間」というものを「大きく見積り過ぎ」ている。
それに尽きると私は考えている。

そして現に私達に必要な「治療薬とワクチン」は、
「人間の分際を知る」 という事です。

私達人間は「完璧」でもなく「完全」でも無い。

「有能」でもないし「全知全能」でも無い。

むしろ「不完全」であるから「人間」であり、
「不完全」であるから「多様」である。
だからこそ「人間」は、
現に「人間」として「存在」している。

「科学」や「テクノロジー」が進化し、
さらに「経済発展」「高度化社会」。
その様な状況から、
私達「人間」は、
「人間であるが故に」あらゆるものを、
「コントロール」できるのだという、
ある種の「観察の理論負荷性」が生じている。

この様な状況から、
現に私達は「人間の分際」を、
改めて知らなければならないのだ。

「人間の分際」とは、
「人間であるが故に」、
「不完全」であり、
あらゆるものを「コントロール」できない。
その様な「人間の不完全」というものから、
逆算した社会というものに、

 

「Re-paradigm shift」

 

しなければ人間の営みというものは、
サスティナビリティを失うであろう。

 

そして最後に「出口戦略」の重要性について。
では現在のこの「コロナ禍」を、
私達はいつまで続けていくのだろうか。
始まりがあるものは、 必ず終わりがきます。
例えば私は一時期デイトレードをしていました。
その手法の中でも、
私はスキャルピングでトレードをし、
それなりの利益を上げてから辞めました。
このトレードで重要な事が、
まさに出口戦略、
つまりイグジット(exit)です。

毎回のエントリーでの利確や損切りはもちろん。
デイトレード自体を辞めるというのも、
重要なイグジット(exit)です。
多くのトレーダーがこの、
出口戦略で失敗するのです。
そしてその失敗の原理が、
人間の「お金の執着」という、
メンタルの問題です。

「お金に執着」するが故に、
人間は利確や損切りができない。
「お金に執着」するが故に、
デイトレードを辞めれない。

人間が常に「問題」にするのは、
その「実体」ではなく、
「概念」や「意味」、
「思い込み」や「先入観」。

その様な「意識」や「思考」、
通俗的に「こころの問題」です。

つまり今回の「コロナ禍」の問題からの、
イグジット(exit)、
つまり出口戦略は、
「私達のこころ」、
つまり「意識」が「不完全」を「許容」する時、
やっと「コロナ禍」は終わるのです。

ですから、
私達がその「不完全」を、
何かしらの方法で「意識変革」しない限り、
この「コロナ禍」は、
長く続いていく事を覚悟しなければならない。

 

 

 

美学者母

 

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