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No.379

世の中についていけない。
とはどういう事か?。
(私たちは未来でも無く、過去でも無く。
今を生きている。)

text : mama(美学者母)
2020年6月18日(木曜日
)執筆

 

 

『いまを生きる』(原題: Dead Poets Society)。
ロビン・ウィリアムズ主演、
ピーター・ウィアー監督。

私はこの映画が大好きで何度も観ています。
まだ観ていない方はぜひ観てください!!!

 

最近SNSで、
「世の中についていけない」という投稿を観て、
私自身すごく違和感を持ったわけです。
なぜなら、
私たちは否が応でも「世の中」に生きています。
もっと踏み込んで言えば、
私たちは「過去」でも「未来」でも無く、
「今」を生きているわけです。

この様な文脈から、
逆説的に「世の中についていけない」、
というものは、
「今」を生きていないと読み解くことができます。

 

私は最近、
40歳を超えた辺りから、
逆の意味で「今」を生きていない、
その様な反省をしています。
それは具体的にどういう事かというと、
私は「未来」を読み解く事に熱中し、
30歳後半まで「今」を生きることを、
疎かにしている事に気付きました。

少なくとも私は、
「今」を生きる事を大切にはしてきました。
30歳で「覚り」の体験をし、
縁起や空という概念を、
「覚り」という体験から読み解きました。

しかし私の欲望は、
常に「未来」を読み解く事、
それを優先し生きてきたわけです。

「未来」つまり「未知」を、
読み解く事の才能があるからこそ、
そのドグマによって、
自分が制限されていることに気づく、
それが40歳になった時です。

例えば私の18歳、19歳頃の、
それは1998年頃に読み解いていた未来。
そしてその時代に熱中していた事。

それはわかりやすい事で言えば、

スケートボード。
2021年に行われる予定のオリンピックで、
オリンピック種目に選ばれています。

日本語ラップ。
当時は日本語ラップは「ダサい」と言われ、
アメリカのラップを聴く人間は多くても、
日本語ラップを聴いている人は稀でした。

パソコン。
私がパソコンを使い始めたのが、
高校の情報処理の授業でした。
個人でパソコンを持ち始めたのは、
18歳の時、
大阪の日本橋のソフマップで、
中古のタマゴ型のMacを購入。
イラストレーターやフォトショップを、
友人にコピーしてもらって、
フライヤーのデザインなどを始めました。
その時代にパソコンをするのはオタク、
そんな世の中でした。

インターネット。
ちょうどISDNからADSLに移り変わる時代。
インターネットは根暗がするもの、
そんな時代でした。

そんな時代に、
やはり友人や知人から、
色々と揶揄される事も多かったです。

 

ここで述べたことは20年以上前、
私が熱中していた事です。

「今」見渡せば、
全てが大衆化されているものばかりです。

常に私は「未来」というものが、
はっきりと「イメージ」でき。
その新しい価値観に魅了されてきました。

そして常に「未来」がクリアに観えるこらこそ、
同時代的価値観と合意できない、
その様なジレンマをこの年齢になるまで、
抱えてきたわけです。

しかしその事自体は原理としては、
間違っていないのですが、
「私」が「現」に生きているという、
この「今」を疎かにしているのでは、
その様な考えに至っているわけです。

つまりこれは、
「未来」がクリアに観えるからこそ、
「今」その観える未来を、
どう活かし、
「今」つまり「現在」と接合し、
どう「同意」するのか。

それが非常に重要であると考えているのです。

 

冒頭の言説に戻りますが。
「世の中についていけない」という事は、
私の反省からの逆説的に、
「過去」に生きているという事なのです。

これは私の逆のパターンなのですが、
この「過去」に生きている人というのが、
ある程度年齢を重ねた世代に多い、
その様に強く感じています。

過去の成功、
過去の栄光、
過去の実績、
過去の慣習、
過去の価値観、
など。

「過去」の自分を生きているのです。
私たちは否が応でも「今」しか、
生きる事が出来ないのです。

つまり、
「過去」を悔やんでも、
「未来」を悲観しても、
生きているのは「今」です。

現代の様な高度な社会に生きていると、
「過去」に生きたり、
「未来」に生きたり、
その様な事で、
本当に唯一私が存在している。
その様に実感している「今」、
というものが見えなくなってしまいます。

あなたが生きているのは、
この文章が書かれている、
様々なデバイスを見ている、
まさに「今」の「あなた」。
この様な当たり前の事に気づく事。

その事が私たちを「豊か」にしてくれます。
今回は私の反省も含めて、
皆様にも、
「今を生きる」 という事を再考してもらえる機会になれば、
幸いです。

 

 

美学者母

 

 

 

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