No.399

舐達麻と村上隆、20年の時を超えて。
馬鹿にされて、笑われて、ダサイと言われて。
己の美を生きる。
(舐達麻のYouTube1000万再生と
村上隆のYouTubeでのエンドロール)

text : mama(美学者母)
2020年12月16日(水曜日
)執筆

 

他人に認められるとはなんだろうか?

 

2020年12月15日に、
この文章を書いている日の前日に、
YouTubeチャンネル、
「Mori Art Museum 森美術館」のチャンネルから、
村上隆アーティストトークMY WORKの動画が公開された。

それと同じ様に、
YouTubeチャンネル、
AHRODITE GANGのチャンネルから、
BUDS MONTAGE/舐達麻が、
2020年7月28日に公開されて、
たった四ヶ月で1000万回再生を記録した。

僕以外からすれば、
現代美術とヒップホップの、
YouTubeでの出来事に、
なんの脈絡もない出来事である。

しかし私にとって非常に重要な日となった。

なぜなら、
僕にとって現代美術もヒップホップも、
20年以上前に、
のめり込み始めたモノだからである。

舐達麻も村上隆も、
ある意味では爆発的な人気と実力を持ちながらも、
日本では圧倒的な腫れ物であることは、
周知の事実である。

この舐達麻と村上隆に共通するものは、

 

「己の美を信じる」ということである。

 

ここから少し踏み込んだ話を、
していく事にする。

まずヒップホップの話をしていくと、
僕が日本語ラップを聴き始めたのは、
1995年頃で僕が高校生の頃なのだが、
それよりも日本語レゲエを聴き始めた方が早い。

それは1990年初頭で、
僕が中学校の頃である。

その頃から僕が住む泉州という地域は、
レゲエの聖地と呼ばれており、
レゲエといえば当時は横浜か泉州と言われていた。

僕がレゲエを聴き始めたのは小学校高学年、
姉の部屋から聴こえてくるボブマーリーに衝撃を受けた。

僕が生まれた大阪府岸和田市という、
土着的な問題や文化の影響も大きいし、
当時ほぼ日本語ラップの音源は流通しておらず、
日本語レゲエの方がまだ手に入れやすかった。

そうやってレゲエやヒップホップに影響を受け、
高校時代にスケートボードを始めて、
高校卒業した1999年頃からは、
ヒップホップカルチャの一つである、
グラフィティライターの活動を始める。

当時実際に街で観るライターなんて、
本当に数える事ができる程度だったので、
当時のライターの名前はよく覚えているし、
その当時からまだ現役で活動している、
グラフィティライターには尊敬しかない。

そしてこの様な文脈から、
私が何を言いたいのかというと、
僕は当時、
レゲエやヒップホップ、
ストリートカルチャにどっぷりハマっていた。

当然日本語ラップや日本語レゲエにも。

しかし当時、
日本語ラップや日本語レゲエが、
どれだけ揶揄されていたのか、
それを実際に体験している人は、
どれだけいるだろうか。

当時日本語ラップや日本語レゲエを聴いていれば、
「ダサイ」とか「キモイ」、
そうやって実際に僕は笑われていた。

 

次に現代美術の話をしていくと、
僕が現代美術を始めようとしたのは、
前述したグラフィティライターの活動に、
限界を感じたからである。

あくまでも「イリーガル」な活動であり、
限界があるのは自明であるし、
思想的にもハードコアな思想、
ヴァンダリズムの様な思想から、
変化をしていった時期でもある。

その当時、
岸和田のスケートボードショップであり、
セレクトショップのオーナーと、
親身にさせていただいており、
2002年にその岸和田のショップで、
僕の初めての個展というものを、
させていただいた。

さらに村上隆が主催していた、
GEISAI#2への参加を勧めてくれたのも、
この岸和田のスケートショップオーナーである。

その2002年頃は、
ストリートカルチャとアートの、
クロスオーバーがまさに始まった時で、
その当時に、
スケートボードショップで、
展覧会をするというのは、
全国的に観ても無かっただろうし、
当然、大阪、岸和田、
では初めての試みであった。

そのGEISAI#2や、
スケートボードショップでの個展、
ちなみにこの個展の情報は、
当時のファッション誌「カジカジ」にも、
掲載された。

それらを機に現代美術の活動を本格化し、
当時大阪の現代美術グループであり、
アーティストインレジデンスを展開していた、
そのグループの代表の方と親交を深め、
様々な現代美術の展覧会に参加する。

この様にアート活動やアートを独学で学び、
現在の美学者母が形成されてくるわけである。

その現代美術の原風景として、
またアートの作法を学んでいく上で、
村上隆抜きにして、
僕のアート活動はなかったし、
村上隆による、
「アートのブラックボックス」の開示は、
なんの才能も能力も無い僕自身に、
勇気を与え、
またアート活動の支えになってきたのは、
自明のことである。

 

その私が尊敬する村上隆の、
2020年12月16日に、
YouTubeにアップされた動画は、
僕にとってはかなりショックなものであった。

なんというか、
映画「村上隆」というものを、
20年以上観続けてきた僕には、
その光景が「エンドロール」にしかみえなかった。

それほど長い動画ではなかったが、
村上隆が自身の人生の答え合わせをしながら、
その人生を総括している様でもあった。

今日、
2020年12月16日時点で、
舐達麻のBUDS MONTAGE、
YouTube再生回数1085万回。

1990年代、
誰もが日本語ラップを、
笑いバカにしていた。

今日、
2020年12月16日時点で、
村上隆は世界的アーティスト。

2020年12月16日時点で、
僕が尊敬するアーティストを、
村上隆と言うと、
笑いバカにしてくる人間が、
特に日本の村アートコミュニティに、
無数にうじゃうじゃいる。

 

しかしこの問題は、
時間が解決してくれるであろう、
舐達麻が、
日本語ラップの、
パラダイムが変わった現在において、
圧倒的に尊敬されている事実の様に。

アート、
日本のアート、
100年後か200年後か、
そのパラダイムが変わった時に、
それは解決をみる。

動画で村上隆は、
ある種の資本主義の終焉、
資本主義アートの終焉に言及している。

それはまさに、
「大きな物語の終焉」であり、
「分散化」であり、
「個別性」であり、
「マイクロポップ」である。

「私たち」は、
「私」の「美」を生きなければならない。
「私たち」の「美」の時代は終わったのである。
「私たち」は「私たち」ではなく、
「私」なのである。

 

つまり、
「美」とは「私」なのである。

そしてその、
「美」を「共有」すること、
それが「道」であり、
その道を歩いていく行為こそが、
「人生」なのである。

 

 

 

美学者母

 

 

 

 

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