皆さまお久しぶりです!!!
コロナの影響もあり、
かなりの期間美術館に行っていなかったのですが、
久しぶりに重たいお尻を持ち上げて、
大阪市内の美術館へ行ってきました。
とりあえず、
僕自身も25年アート活動し、
その当初から建設計画があり、
長堀の準備室時代からコレクションを観てきた、
永遠に建設予定だった美術館。
(大阪中之島美術館)
中之島界隈は僕は昔から大好きで、
mixiのコミュニティでも中之島コミュニティの管理人、
もっと言えば、
この中之島美術館の、
(仮)大阪市立現代美術館のコミュニティの管理人www
その上で今回は開館記念での
超コレクション展という事で、
展覧会の内容よりも、
まず開館した事自体が本当に嬉しい限りです。
また国立国際美術館や中之島美術館、
大阪市立科学館の三つが並ぶ光景は、
非常に文化的で美しいです。
今後の企画展に期待しています。
(国立国際美術館)
う〜ん、なんと言いますか、
非常に残念でなりません。
僕も国立国際美術館には20年以上通っています。
その上で企画展の劣化度合いが酷すぎるwww
2021年に館長が変わった影響なのか、
大阪中之島美術館の影響なのか、
急に企画展のレベルが下がりすぎていて、
今まで愛して止まなかった、
国立国際美術館に絶望しております。
まず今日行った企画展は、
「感覚の領域 今、経験するということ」
まずパンフレットのステートメント的なもの、
それだけでも劣化が理解できます。
今までの国立国際美術館の企画展とは、
あまりにも劣化しすぎている。
その様な違和感を持ちながら、
大阪中之島美術館を後にして、
国立国際美術館へ!!!
国立国際美術館へ行った事のある方なら、
知っていると思いますが、
地下二階がいつもコレクション展、
地下三階が企画展、
その様な形がデフォルトになっています。
いつも僕は企画展から観るので、
地下二階を横目で観て地下三階へ行くのですが、
篠原有司男さんのボクシング・ペインティングを、
コレクション展の一番目立つ場所に展示していて、
篠原有司男さんのボクシング・ペインティングを、
かなり昔に間近で観たこともあったり、
篠原有司男さんの映画も観ているので、
後から観るのを楽しみにして、
地下三階の企画展へ向かいました。
そこから色々と問題を感じることに出くわします。
エスカレーターを降りた所は、
だいたい展覧会の入り口になっていることが多いのですが、
今回はいきなり作品が展示してありましたが、
その作品そのものが、
人数制限?なのか、
これも一つの芸術?なのか、
とりあえず入れないので入り口へ向かう。
さらに展覧会場の入り口に展示されている作品には、
そもそもキャプションも無く、
それも一つの芸術?ナノカ、
という事で、
展覧会場の案内をもらって、
展覧会場の中へ。
すると版画の作品が入って右側の部屋にあり、
案内用紙ではOwとFの記載の間に壁の図。
しかし展覧会場の実際は、
Fの領域にOwの版画がある。
しかし案内用紙にはFの領域で油絵である。
つまり会場の案内と実際の展示状況が、
全く合致していない。
僕はこの事を会場でスタッフの方へ聞き、
実際の展示はOwの版画なのに、
なぜ会場案内図ではFの作品があることになっているのか、
質問したわけですが、
ただ展示と会場案内が間違っている事は認めるものの、
それが意図的にしているものなのか、
それともただ単なるミスなのかはっきり言わない。
例えば、
展示と図像との差自体が作品性を持つこの時代に、
もしこれがただ単なるミスであるならば、
これはまさに国立国際美術館の企画展の劣化、
そう云わざるおえない。
少なくとも、
その展示と図像のズレ(差)を作品とするなら、
僕が説明を求めた時点で作品であると言うだろうし、
ただ単なる怠慢であり劣化であると判断し、
怒りを持って企画展も、
観たかった篠原有司男さんのボクシング・ペインティングも、
観ずに国立国際美術館を後にした。
それにしても、
企画展が、
「感覚の領域 今、経験するということ」
その様なコンセプトで企画展をキュレーションして、
僕に何を経験させたいのだろうか?
つまり、
国立国際美術館の劣化の経験をさせたいのだろうか?
僕は今回の国立国際美術館の企画展で、
いかに作家が蔑ろにされ、
いい加減な企画運営の上で、
ただ表面上だけを取り繕い、
予算だけを消費しようとしている、
国立国際美術館に非常に憤りを感じています。
それは20年以上愛し続けてきた美術館が、
ここまで劣化した状態が許せません。
今後の企画展でのそれらの訂正を期待したい。
(大阪市立科学館)
国立国際美術館での苛立ちを持って、
隣の大阪市立科学館へGO!!
いつ行っても楽しい科学館ですが、
プラネタリウムも更新され、
様々な科学を身近に感じることができる。
その様な素晴らしい博物館です。
国立国際美術館でのドグマが、
大阪市立科学館で浄化された。
その様な一日でした。
(最後に)
久しぶりに美術館や博物館を三つも周り、
かなり疲れたわけですが、
国立国際美術館の件などもあり、
自分自身も見直すことができました。
やはり自己再帰的であり、
脱構築、アップデートを繰り返しながら、
人間は成長していかなければなりません。
だからこそ、
今回の国立国際美術館のやっつけ感満載の企画展、
これは非常に危ういと強く感じた。
それは美術だとか科学だとか経済だとか、
それ以前に、
社会の公の組織として、
いやそれ以前に社会の一つの事象としても、
あまりにも傲慢に思える。
この様な事は逆説的に、
現在の社会そのものが、
社会全体が異常な劣化を起こしている。
その表層の一部なのだろう。
美学者母