No.409

大阪中之島美術館への鑑賞の自由(表現の自由)
に対する制限への抗議文

text : mama(美学者母)
2022年11月25日(金曜日
)執筆

 

2022年11月25日に大阪中之島美術館と国立国際美術館の共同企画

「すべて未知の世界へ ー GUTAI 分化と統合」

上記の展覧会へ行ってきました。

具体、特に僕は嶋本昭三さんのアート活動や書籍に、
自分自身を救われたので、
今日、展覧会へ行ってきたのですが、
完全に私自身は現在の「美術館」というものに、
「絶望」と「諦め」を確定しました。

嶋本さんの存在やその考え方に出会ったのは、
私がアート活動を始めてすぐの、
もう20年以上前のことです。

私の中では非常に重要な存在です。

だからこそ、
「具体」が本当の意味で大切にしていたものを、
私自身も大切にして現在に至っています。

さらに国立国際美術館は、
私にとって様々な高次元の展覧会を観せてくれていました。

しかし、
国立国際美術館の館長が変わってからの展覧会の、
劣化が著しく非常に残念な気持ちがあります。

今回は、
国立国際美術館の劣化の確定という意味も込めて、
また嶋本さんへの思いもあって観に行くことにしました。

国立国際美術館と、中之島美術館の共催ということで、
最初は、 国立国際美術館へ行ったのですが、
現在の状況は国立国際美術館でも異例の状態のように感じます。

まず、普段は企画展と常設展が並列して行われていますが、
僕が行った国立国際美術館の展覧会では初めて、
企画展のみであり、
またその企画展は中之島美術館との共催、
さらに言えば、
そこに展示されている具体の作家の作品は、
芦屋市立美術博物館と兵庫県立美術館の所蔵作品がほとんど、
国立国際美術館で開催する意味あるの?
と疑問を抱かざるおえず、

さらに、
新たな評価軸を作るようなステートメントに対して、
新たに設定された視点や評価軸も無く、
ただ単に借りてきた作品を並べているだけの、
陳腐な展覧会です。

この人たちは逆に「具体」の評価を下げたいのか、
そのようなことさえ感じてしまいます。

次に最悪だったのは中之島美術館、
展示を見ながらパートナーと対話しながら鑑賞する。

それが私の鑑賞を最大化する方法で、
お互いの作品に対する認識の差異や、
認知するものの違いを確認し、
コミュニケーションをしながら、
作品の多面的存在や多様な在り方に気づく、
これは芸術鑑賞としては、
とても効果を大きくし、
さらに理解を深める方法です。

しかし、私は20年以上にわたり、
全国の様々な美術館や博物館に行き、
人並み以上に様々な展覧会を観てきた人間であり、
二人などで行くときは必ず対話型の鑑賞をします。

「中之島美術館で起こった事件」

監視員から会話を辞めてくれという指示。

その上で、
私は作品について会話しているのだから、
これは鑑賞行為の妨害であり、
もし会話に関してのルールがあるのなら、
教えて欲しいと申したのです。

小さな声で会話しろと命令するなら、
何デシベル以下としてルールがあるのか、
その指示はあなたの感じ方に依存しているのではないか。

さらに言えば鑑賞行為に対してルール無き強制があるのなら、
それは「表現の自由」の制限と考えることができる。

その場で監視員と監視員の責任者と口論になったが、
結果ルールもなしに要求してくることに、
私は我慢ができず。

私自身が会場から出て中之島美術館に電話して、
上席の男性と話をすることにした。

結果的に、

会話に対する明示できるルールは無い。

私の言っている事や鑑賞方法は理解できる。

マジョリティは黙って鑑賞する。

マジョリティからクレームが多い。

美術館はマジョリティに合わせる。

しかし改善は必要である。

以上のような回答を得ることができた。

 

美術館や博物館では黙って鑑賞するとか、
会話はしてはいけないとか、
まったく合理的でない思考である。

美術やアートとは、
エンターテイメントでは無く、
美術やアートは、
時にその多様さや価値観の違いによって、
他者を傷つけ、
時に他者を殺す。

それは肉体的ではなく、
人間そのものの存在をである。

つまり、
美術館や博物館という場は、
「能動的自由」が担保されるという場であり、
それが、
構成主義教育をベースに発展してきた、
「美術館」という「自由」な「場」である。

私はその「美術館」に救われたからこそ、
誰よりも「美術館」を愛してきた。

しかし、
私が救われた「具体美術」と「嶋本昭三」の展覧会、
またその展覧会が開かれる「中之島美術館」という美術館。

そこで学んできた、
アートや美術、美術館や博物館での「自由」や「能動性」、
構成主義教育は「完全に否定」され「排除」されたのである。

 

もう日本は終わったのかもしれない。

 

あらゆるものが「劣化」している。

また「数の原理」に美術館も侵されている。

マジョリティに全体主義。

全体意思を優先し、
一般意志を持つものが排除される。

そろそろ海外へ逃亡しなければならない。

 

以上、

これをもって中之島美術館への抗議文とする。

愛する「美術館」よサヨウナラ。

 

最後に実際にあった話として中之島美術館の、
男性の方が言われていたのですが、
泣いている赤ちゃんがうるさいと言って、
展覧会から排除されたのを聞いて、

最終的にこれはもうダメだと確信しました。

 

 

 

美学者母

 

 

 

 

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